前にも書いたように、わたしの人間理解は、
「人の心は何よりも陰険でそれは直らない」という
聖書の言葉に立っています。

だから、別に、人の見ていないところで、
誰がどんな言動をしていようと、全く驚きません。

京介さんが、わたしの見ていないところで、
どんな姿であろうと、別に関係ないんです。

それでも、わたしは京介さんに感謝しているし、
愛されたと思っているし、
今も京介さんを愛しています。

キーさんおひとりおひとりのお話を聞かせていただく時、
わたしはそのキーさんの心の中にある京介さんの姿を、
はっきりと浮かび上がらせ、物語にし、
大切にしまっておく、そのお手伝いをしているだけ。

嫉妬や僻みや悪意が渦巻くここの書き込みは、
何度も言いますが、雑音でしかありません。