複数の関係者の話を総合すると、映画化の話は07年11月ごろから開始され、米国のプロデューサー、漫画家の故・小島剛夕氏の著作権管理者なども交えて何度も交渉が重ねられた。
 08年7月には小池氏も同席して「映画化権もM社にあること」が再確認された。同年12月には覚書が交わされ、いよいよ軌道に乗りそうなころ、突然、小池氏とA氏が米国の法律事務所を通して、プロデューサーに「契約の無効」を言い渡してきたのだという。
「この直前、小池氏から弊社へ『契約解除通知』が届きました。契約を無効にして、映画化権を独占しようとしたのだろうが、お金で取り戻すわけでもなく、話し合いもないまま一方的に通知だけで済ますなど非常識です。プロデューサーは当社の権利を確認したのですが、トラブルになるのを嫌って、映画化は09年春に頓挫してしまいました。小池氏は当社の役員でありながら会社に損害を与える行為は看過できず、09年12月に特別背任などで刑事告訴しました。警察にも受理されています」(金田氏)