「薬物戦争」の1年

私は今、マニラの巨大なショッピングモールにあるカフェでこの原稿を書いている。

週末とあって、モールは家族連れやカップルなど買い物客でごった返しており、街は一見平和そのものだ。幸い、心配されていた台風は、ルソン島をかすめただけで済んだ。日本とは違って、すぐ隣で台風が生まれ、あっという間に去って行った。

マニラに来る前日、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、就任2年目を迎えた機会に、就任以来2度目となる施政方針演説を行った。

直前にミンダナオ島の戒厳令が延長されたこともあって、イスラム国やテロ対策などに話の大半が割かれるだろうとの予想を見事に裏切って、冒頭から長時間、薬物対策に話が及んだ。彼の姿勢は、本当に一貫している。

ドゥテルテ大統領が就任したのが昨年6月。彼は、就任するや否や、薬物対策を政権の最優先課題として打ち出し、「薬物戦争」を宣言した。薬物撲滅のため、薬物に関わった者の殺害も辞さないとの強行的な姿勢を示し、世界中から大きな非難を浴びた。

実際、正体のよくわからない「自警団」などに殺害された者は、数千人に上ると報道されている。しかし、支持率70%とも80%とも言われる絶大な人気を背景に、彼のその姿勢にはまったく揺るぎがない。

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アジアで1、2を争う治安の悪さ

なぜ薬物政策がそれほど重要で、それほど国民の支持を集めるのか。

それを理解するには、この国の深刻な薬物汚染について知らなければならない。

途上国では、公式な統計があっても、それがそのまま信頼できるわけではないが、この国の統計では薬物使用人口はおよそ180万人と推定されている(一説には、300万人を超えているとも言われている)。

日本の場合、逆に平和すぎて国の公的な薬物統計がないため(これは先進国では日本くらいのものである)、犯罪統計に頼るしかないのだが、犯罪白書によると毎年約1万人強が覚せい剤取締法違反で検挙されている。

フィリピンの人口は約1億人であるので、薬物使用者の割合は日本の約180倍という計算になる。この数字を見るだけで、いかにこの国の薬物問題が深刻で、日本とは比べものにならないことがわかるだろう。

おそらく、フィリピンの薬物汚染は、世界最悪と言ってよい。そして、日本と同じく、使用薬物の大半は覚せい剤である。

180万人という数字を信じれば、国民の50人に1人が薬物を使っているという現状であるから、近所や職場、友人の中に、1人や2人の薬物使用者がいてもおかしくないわけであり、誰もが身近にその脅威を感じている問題だということがわかるだろう。

今、私のすぐ横でコーヒーを飲んでいるカフェの客の中にも薬物使用者がいるかもしれないし、ショッピングモールを歩いている買い物客の中にも何十人、何百人という薬物使用者がいるかもしれない。

そう考えると、一見平和そのもののこの景色が、違った色を帯びてくる。

また薬物使用は、ほかの犯罪を招く元凶ともなる。薬物の影響で暴力的になったり、幻覚妄想状態になって粗暴行為に及ぶこともあるし、薬物を入手するために新たな犯罪に手を染めるということもある。

さらに、身近なコミュニティが薬物密売の巣窟になると、治安が一気に悪化する。フィリピンの治安の悪さは、アジアでは1、2を争うくらいの深刻な状況であり、それが社会の健全な発展を阻害している。

世界的な批判、国民の大きな支持

現在公開中のフィリピン映画『ローサは密告された』は、昨年のカンヌ映画祭で主演女優賞を受けた秀作であるが、庶民の生活の中にどれだけ薬物が入り込み、それが犯罪や警察の腐敗に結びついているかが、まるでドキュメンタリーのようなリアリティをもって描かれている。

映画では、マニラのスラム街にある小さな商店主が、タバコの包みに覚せい剤を隠して売りさばき、密告によって逮捕される。彼らはどこにでもいる庶民であるが、さしたる罪悪感もなく、日常的に覚せい剤が売り買いされている状況は異常である。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52506

>>2以降に続く)