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▲「ファットマン」

第二次世界大戦末期の1945年8月6日、米国は戦争を終わらせるため、当時、日本の軍事基地も同然だった日本の広島市に原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。この投下で当時、広島市の人口約34万人中、約14万人が最初の爆発および放射能被害などで死亡した。

しかし、日本軍部は米国の期待と異なり降参しなかった。かえって戦争の狂気に捕われて最後の必死のあがきだけするだけだった。これに米国は日本に第二の原子爆弾を投下することを決定、「リトルボーイ」投下3日後の8月9日、「ファットマン」を長崎市に投下した。

500メートル上空で爆発した「ファットマン」は先の「リトルボーイ」と同じように多くの死傷者を出した。当時、長崎市の人口約24万人中、約8万人が死亡し建物の半分近くが灰燼に帰した。

強制徴用で引きずられて行った朝鮮人たちも途方もない被害をこうむった。広島市では被害者5万人中、3万人以上死亡し、長崎市では2万人中1万人が死亡した。

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朝鮮人の死亡率が日本人に比べてはるかに高かった理由は日本人たちの差別によってちゃんとした治療を受けられなかったためだ。しかし、日本政府は原子爆弾が投下され70年以上たっても、ただの一度も被爆朝鮮人に対する実態調査をせず、かえって日本が「唯一の被爆国」と宣伝している。

日本は「ファットマン」投下の6日後、8月15日に米国を中心にした聨合国に「無条件降伏」を宣言した。日本の無条件降伏宣言で第二次世界大戦は終止符を打ち、私たち民族は解放を迎えた。

一方、日帝強制支配期に大挙強制連行され三菱重工業長崎造船所で酷使された朝鮮人強制徴用者名簿が日本の長崎市によって廃棄された事実が一歩遅れて分かった。去る8日、日本の毎日新聞によれば三菱重工業は1948年6月、長崎地方法務局に朝鮮人3,418人の名簿を提出し、未支給賃金85万9,779円を供託した。

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▲朝鮮人原爆犠牲者の跡/聯合ニュース

当時、名簿に記されていた朝鮮人たちは原子爆弾投下時に被爆したと見られる人々だったが、メディアは朝鮮人に対するこの様な供託金は日本全体で17万5,221人分、1億2,756万円だと伝えた。日本政府は被爆者に「被爆者健康手帳」を発行して医療費、看病費を支給しており、名簿はこの被爆者健康手帳を発行するのに重要な証拠資料だ。しかし、法務局は1970年、この名簿が保存期限が終了したとして廃棄したことが明らかになった。日本法務省が1958年、供託関連書類を保管するよう指示したのにこれを破って誰かが名簿をなくしたのだ。

この事実は日本市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」が朝鮮人強制徴用者3人に対する被爆者健康手帳発給申請をする過程で明らかになり、手帳発給が拒否されるや法務局に問い合わせたところ、法務局は名簿廃棄の事実を認めたと伝えられた。

これについて毎日新聞は「被爆者として受ける権利を日本が奪ったこと」というこの団体の批判を紹介し、手帳発給を申請したキム・ソンス(91)氏、ペ・ハンソプ(94)氏、イ・グァンモ(94)氏がこれと関連して今後法的闘争を行う予定と伝えた。

キム・ジヒョン記者

ソース:インサイト(韓国語) 「今日は長崎に原爆投下されて日王が「無条件降伏」を叫んだ日です」
http://www.insight.co.kr/news/115663