せみ時雨の降る時節になると、国の在り方や故事来歴に思いを巡らせ、あれやこれやと心を痛める。昭和20年8月15日以来、日本人のDNAに刻まれた宿痾(しゅくあ)といっていい。

 島を不法に占拠され、わが物顔で領海を跋扈(ばっこ)され、庭先にミサイルを打ち込まれてもなお、沈黙するしかない現状が眼前にある。

 狡猾(こうかつ)で粗暴な隣の国々にあざ笑われているのに、「平和を愛する諸国民の公正と信義」とやらを妄信する空気が支配する。われわれの背骨はなぜ溶けてしまったのか。

 「八月革命」という学説がある。ポツダム宣言の受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行するという革命が起きた。

 これによって、日本国憲法は新たに主権者となった国民の自由意思で制定された−とするものだ。東大法学部の宮沢俊義教授が昭和21年5月に提唱した。

 「誰が殺した? 日本国憲法!」(倉山満氏著)や「ほんとうの憲法−戦後日本憲法学批判」(篠田英朗氏著)によると、宮沢教授は大正期の憲法学の泰斗である美濃部達吉教授の後継者として東大憲法学を担当。

 敗戦後、憲法改正担当の松本烝治国務大臣と美濃部教授らが大日本帝国憲法の改正作業を進める際、2人の助手として中心的役割を果たした。

 当初はポツダム宣言を考慮しても新憲法は必要ではなく、帝国憲法の適正運用で十分との考えだった。

 しかし、松本大臣に不満を持った連合国軍総司令部(GHQ)が自ら起草した改正草案の要綱を見るに至り、「国民主権主義」を正当化して新しい憲法を擁護する立場にかじを切ったという。

 いびつな成立過程をたどった新憲法にとって、八月革命という“虚構の物語”が必要だったのは想像に難くない。米国の「押し付け」というタブーを覆い隠さなくてはならないからだ。

 やがて、新憲法の意義を積極的に説明できる唯一の法理として学界の通説となり、司法試験や公務員試験、教員採用試験などにも東大憲法学が浸透、戦後日本の価値観を決定付けるに至った。

 戦前の全否定、自虐史観、伝統や文化の軽視、肥大化した人権思想、空想平和主義…。思考停止する魔物たちの楽園が現れ、毒がまき散らされた。

 その一角に居を構えるのが日本弁護士連合会(日弁連)。さまざまな信条を持つ弁護士が登録する強制加入団体であるにもかかわらず、自ら厳正中立の姿勢を捨て、偏った政治的意見を乱発する「護憲派の牙城」だ。

 産経新聞は4月以降、連載企画「戦後72年 弁護士会」で、左傾闘争体質の実態や背景を探ってきた。

 彼らを知るには、例えば北朝鮮による拉致問題が分かりやすい。言うまでもなく拉致は国家主権の侵害、人権侵害の最たるものだが、長らく冷淡な対応を続けている。

 日弁連を牛耳る人権派弁護士らは、かつて日本から甚大な被害を受けたとする北朝鮮を擁護し、日本を告発することこそ人権問題だと信じて疑わない。そのスタンスから外れる場合には知らぬ顔を決め込む。要は「人権」を恣意(しい)的に選別しているのだ。

 三権の一翼の担い手が、犯罪被害者の自国民に寄り添わない異様さ。言葉遣いの軽さとダブルスタンダード。八月革命説の毒がよく効いている。

 メディアも例外ではない。朝日新聞は今年の憲法記念日に際し、社説でこう書いた。〈自衛隊はあくまで防衛に徹する「盾」となり、強力な打撃力を持つ米軍が「矛」の役割を果たす。この役割分担こそ、9条を生かす政治の知恵だ〉。

 憲法と八月革命説が内包する「矛盾」を文字通りに示した言説といえるだろう。

 戦略家のエドワード・ルトワック氏は北朝鮮情勢に絡め、「まあ大丈夫だろう」という態度は極めて危険で、平和を戦争に変えてしまうと警鐘を乱打している。魔物の討伐を急がねばならない。(社会部次長・酒井孝太郎 さかいこうたろう)

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慰安婦問題をめぐる日弁連の変遷
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日弁連の定期総会=5月26日午後、東京・丸の内のパレスホテル東京(酒巻俊介撮影)