「核とミサイル施設の廃棄」がなければ

核とミサイル開発を続ける北朝鮮と米国の対立はどうなるのか。私は先週のコラムで、米国と中国が新聞紙上での態度表明を通じて互いの立場を確認した結果「本当の危機はここから始まる」と書いた。今週もその続きを書こう。

米朝両国は挑発的言辞の応酬を繰り返す一方、水面下では北朝鮮に拘束されている米国人の解放を目的に水面下で接触を続けている、と報じられていた。ここへきて両国の接触に何らかの進展があった兆しがある。

トランプ大統領は8月22日、北朝鮮の金正恩・最高指導者が「我々に敬意を払い始めたのではないか。何か前向きなことが起きるかもしれない」と語った。ティラーソン国務長官も同日の記者会見で「北朝鮮が一定の自制をしているのは確か」と評価した。

これと符号を合わせるかのように、韓国と合同軍事演習中の在韓米軍司令官も同日、韓国での会見でミサイル実験を見送っている北朝鮮の動向について「非常に良い兆候。外交手段が成功裏に進んでいるようだ」と語った。

進展が本当ならひとまず喜ばしいが、問題は接触の中身だ。

先週のコラムでも書いたように、米国の最終目標はあくまで核とミサイル施設の廃棄である(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52624)。仮に実験凍結で本格交渉が始まったとしても、核とミサイル施設が永久的に廃棄されない限り、対立の基本構図は残る。

「新聞外交」が危機を先鋭化させた例

そこを踏まえたうえで、まず先週のコラムで指摘した新聞紙上での米中の態度表明について、少し解説を付け加える。多くの読者は「外交」と聞くと、誰にも知られない秘密の場所で政府当局者が丁々発止のやりとりをするような場面を思い浮かべるだろう。

そういう場面ももちろんあるが、新聞を利用した対話もある。これには多くの先例がある。米国と旧ソ連の冷戦が始まった局面もそうだった。1945年3月5日、当時のチャーチル英首相は米国ミズーリ州フルトンで演説をした。有名な「鉄のカーテン」演説である。

チャーチル首相は英語圏国家の友好強化を求めたうえで、「バルチック海のステッティンから、アドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが降りた」と述べ、「ソ連が東ヨーロッパを支配しようとしている。彼らが望んでいるのは共産主義勢力の拡大だ」と警告を発した。

この演説がニューヨーク・タイムズなどで報じられると、ソ連はどう反応したか。

当時のスターリン・ソ連共産党書記長は数日後、共産党機関紙プラウダのインタビューに答える形で「英語圏の国が残り半分の欧州を支配しようというのは、ヒトラーのような人種差別政策だ。演説はソ連に対する戦争準備宣言にほかならない」と反論した。

この記事をニューヨーク・タイムズが同年3月14日に転載した(https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1946/03/14/88347439.html?pageNumber=4)。演説から9日後だった。この一連のやりとりこそが米ソ冷戦の始まりになった。米英など西側諸国とソ連・東欧圏の基本的対立がはっきりしたからだ。

これは冷戦史の教科書が必ず記述している史実である(たとえば「America, Russia, and the Cold War 1945-1984」Fifth Edition, Walter LaFeber, 1984, P38-39)。

米国や中国、ロシアはもちろん日本、韓国、北朝鮮でさえも、外交政策の当局者たちは当然こういう史実を職務上の常識として知っている。外交は歴史の延長線上にある創造的な駆け引きだから、知らなかったら政策立案者の資格がない。

「自衛のための戦争」を始める条件

したがって、中国共産党機関紙の姉妹紙である環球時報が社説で「中国は北朝鮮に対する米国の報復攻撃には中立を保つ。だが、米国が朝鮮半島の政治的版図を変えようとするなら断固、阻止すべきだ」と書いた4日後に、

ティラーソン国務長官とマティス国防長官が連名でウォール・ストリート・ジャーナルに「米国は非武装地帯の北側に駐屯する意図はない」と寄稿したとき、すべての関係国は米中の意図をしっかりと了解した。

その中には当然、金正恩氏も含まれる。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52683

>>2以降に続く)