政府が主導する「弾道ミサイル避難訓練」が全国各地で実施されている。頭を腕で包み、しゃがむ。

「本当に意味があるのか」「直撃したらひとたまりもない」「では、どうする」。そうした思索を生み出させること自体にこの訓練の欺瞞(ぎまん)の本質がある。

問うべきは「訓練の意味」などではない。政府は北朝鮮のミサイル発射阻止へ全力を挙げているか。解決すべき異常事態を放置していないか。私たちは為政者がやろうとしていることの内実に目を凝らさなければいけない。

気鋭の政治学者、白井聡さん(39)と、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さん(50)に話を聞いた。

北朝鮮から日本に本当にミサイルが飛んでくるのか、現在のところ可能性は低いと見るが、究極的には分からない。だが仮に本当に飛んでくるとしても、こうした訓練は意味がない。小学校の体育館に逃げ込んで身を守れるのか。

体育館に集まった方が安全だと判断する根拠はどこにあるのか。頭を抱えたところで、落ちてくるのはミサイルであり、対処法は基本的にない。

政府は、グアム方面に発射されたミサイルを日本上空で迎撃すると言い、島根、広島、愛媛、高知の4県に地対空誘導弾パトリオット「PAC3」を配備した。だがこれも無意味だ。

日本上空を通過するときにはミサイルは高高度を飛んでいるためPAC3で撃ち落とせない。

北朝鮮が米本土に向けて撃つミサイルを日本が撃ち落とすなどと言っているが、これもばかげた話。この場合、ミサイルは日本上空を通過しない。

これらに共通しているのは危機認識の前提や、その対処方法に「全く合理性がない」という点だ。太平洋戦争末期に政府が「竹槍(たけやり)で爆撃機B29を落とす」と言っていたのと変わらず、見ているこっちが恥ずかしくなる。

ではなぜ無意味なことをやるのか。そこに別の意味があるからだ。つまり社会的効果を見込んでいる。戦時中、竹槍でB29を落とす訓練に「そんなのは無意味だ」などと言おうものなら、「お前は何を言っているんだ。非国民だ!」と爪はじきにされた。

いま行われている弾道ミサイル避難訓練はこの構造とよく似ている。つまり不合理に屈する国民を生産するという社会的効果がある。

朝鮮戦争にこそ原因

大いに懸念されるのは、こうした訓練を繰り返すことで、人々の心が「とにかく頭を抱えるべきなんだ」となり、同時に「なぜ、こんなことになっているのか」という問いが消えてしまうことだ。

なぜ日本がミサイル攻撃を受ける可能性があるのか。...

http://www.kanaloco.jp/article/273393