>>1の続き)

日本仏教が、地主神として民間信仰を境内に取り入れて同居させたのとは対照的である。

李王朝はその後、儒教を国教としたが、その時、今度は仏教を迫害した。これを崇儒排仏という。その時、仏教とともに、仏教に関わるものの多くを排斥し、茶の飲用も廃止されたという。日本人の是々非々主義とはかくも大きな違いである。

李氏朝鮮では、人間を7つの階級に分け、最低の第7の部分に旅芸人、遊女、仏僧、被差別民などを入れた。民俗芸能をやる旅芸人は売春も行い、それを仏教寺院が管理するという形が長く続いたようである。

韓国には古寺が少しは残っており、日本人の旅行者は韓国の古寺に興味を持っているが、韓国政府としては仏教寺院をあまり観光の目玉として推奨していない。そのような歴史的事情もあるらしい。

日本の神道学者は鳥居については外来説を排し、在来説を取るものがほとんどであり、天岩戸(あめのいわと)において鶏に時を告げさせた、その時に止まらせた木であるとする。10世紀の百科事典の『倭名抄』には「鶏栖」という別名も述べてあるという。

もし金達寿氏の説明が正しいとすれば、鳥居がなぜ「鳥」「居」なのか、ここに説明がつくことになる。

そこで、仮に鳥居が純粋に日本由来のものであり、朝鮮からの渡来ではないとしよう。鳥居の起源は日本国内で、鳥居は日本的なものであるとする。しかしその場合でも、なお日本の鳥居に類似のものが朝鮮半島から沿海州にかけて存在していたという事実は否定できない。

そうすると、神社神道というものが極めて日本的なものであって他国にはなく、神道イデオロギーなるものが古来から近代に至る日本を支配したと絶対的に主張はできなくなる。それは1つの可能性かもしれないが、それと並ぶ有力なライバル仮説が存在することになる。

(後藤牧人著『日本宣教論』より)

(おわり)