41年前、日本で非常に人気のあるプロレスラーだったアントニオ猪木氏は、ボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリ氏との勝負に臨んだ。だが、その戦いは「茶番劇の売名行為」と批判された。

9月中旬、同様の批判が再び猪木氏に向けられた。現在は74歳で国会議員である猪木氏が、北朝鮮への訪問から帰国したのだ。北朝鮮では動物園に行き、高麗人参酒を飲み、北朝鮮の李洙?(リ・スヨン)朝鮮労働党副委員長らと核外交について議論したという。

猪木氏は羽田空港での記者会見で、李氏が「米国や国際社会が圧力をかけるかぎり、われわれは(核)実験を続け、よりレベルの高いものにしていく」と語ったと述べた。

「圧力よりも話を聞こう」

猪木氏は何十年も政治の世界にいるが、ある意味で彼はNBA(米国プロバスケットボール協会)のスターだったデニス・ロッドマン氏のような存在だ。ロッドマン氏も北朝鮮を何度も訪問している。

北朝鮮指導部とつながっているのが、猪木氏やロッドマン氏らわずかな人たちだけにかぎられていることは、北朝鮮という独裁国家が国際的に孤立していることの証しであり、また同国を理解するルートが限られていて、影響を与える方法はさらに限られていることを示すものでもある。

猪木氏は1995年にレスリングの試合のために北朝鮮を初めて訪問。今回の5日間の訪問は通算で32回目となった。議員会館の事務室で行ったインタビューで、猪木氏は自身の等身大パネルのそばに座り、彼の究極の目的はスポーツ外交を通じて平和を実現することだと語った。こぶしを振り上げた等身大パネルの猪木氏の写真は、トヨタの宣伝に使われる予定だ。

猪木氏によると、北朝鮮の高官は対話を望んでいるが、彼らは「米国の力が圧倒的な状況では、核兵器の開発が唯一の選択肢だ」とも考えているという(ロッドマン氏とは異なり、猪木氏は金正恩〈キム・ジョンウン〉朝鮮労働党委員長には会ったことがない)。

また、国連やドナルド・トランプ大統領や日本は北朝鮮への圧力強化を主張するが、まずは北朝鮮の話を聞き、彼らの行動の背景にどんな理由があるのかを理解すべきだ、と猪木氏は述べた。

猪木氏の訪朝は、北朝鮮の核兵器開発への警戒感が、日本や米国でピークに達しているときに行われた。北朝鮮は8月に日本の上空を通過するミサイルを発射、その数日後にはこれまでで最大規模の核実験を行った。

日本政府は猪木氏の今回の訪朝について、ほとんど何もコメントしていない。菅義偉官房長官は猪木氏が日本を出発する前に、「すべての国民に北朝鮮への渡航の自粛を要請している」と繰り返した。安倍晋三首相も、今は北朝鮮政府と公式な話し合いをする時ではないと、何度も示唆した。

日本で猪木氏を批判する人たちは、ロッドマン氏を批判する人たちと同様に、猪木氏は自分を宣伝しているのであり、また北朝鮮にプロパガンダの道具として使われているのだという。

早稲田大学の名誉教授で北朝鮮情勢に詳しい重村智計氏によると、北朝鮮は自国のポジションや言い分を広めるために、猪木氏を利用しようとしているという。

北朝鮮とのつながりは力道山から

猪木氏は本名を猪木寛至といい、子ども時代にブラジルで一時期を過ごした。当時、日本政府が国民に海外で仕事の機会を探すよう勧めており、猪木氏の家族も1957年にブラジルに移住したのだ。

猪木氏はブラジルで、ちょうど同国を訪問していたプロレスラーの力道山氏に見いだされた。それが猪木氏と北朝鮮との初めての接点となった。というのも、力道山氏は日本が占領していた時代の北朝鮮の出身だったからだ。力道山氏は相撲の力士としてスカウトされ、やがてプロレスラーに転向した。

力道山氏の指導の下、猪木氏はプロレスラーとして大きな人気を博した。1976年に東京で行われたモハメド・アリ氏との試合も大々的に宣伝されたが、試合内容は非常につまらないものだった。猪木氏は15ラウンドのあいだ寝転がるようにしてアリ氏の足を蹴り続け、アリ氏は2回しかパンチを浴びせられなかった(結果は引き分けだった)。

1989年、猪木氏は政界に進出。無所属の参議院議員となったが、1998年までレスリングも続けた。

http://toyokeizai.net/articles/-/191348

(続く)