【京都新聞】占領期に米軍事故や事件多発。日本政府は終戦処理費から見舞金を支給したが、在日コリアンは門前払い[10/13]
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占領期の京都で米軍事故や事件多発 史料調査で判明
「戦争の本質は占領期も合わせて考えるべきです」。1945(昭和20)年夏、日本はポツダム宣言を受諾。その後7年間にわたり米国を中心とした連合国軍の占領下に置かれた。京都文教大元教授の西川祐子さん(79)は、生活史の視点から京都の占領期研究を続け、集大成の新著「古都の占領」を出した。占領期にもあらゆる形で「暴力」が通底した実態を見逃してはならないという。
≪中略≫
■集団暴行で死亡例「氷山の一角」
先の府文書には被害者側の生の声が多く含まれる。祇園一帯では米兵の飲酒事故を訴える証言が多い。幼児が親兄弟の後を追って道に出た途端ひかれた事故もあった。大抵はひき逃げ。犯人の特定は難しかった。西川さんは「無線連絡を受けた白いジープのMP(米軍憲兵)が府警より早く事故現場を片付け、公にならない仕組みができていた。でも、口コミで広がり、祇園の石段にジープが駆け上がったという話が今も語られる」。
府文書によると暴行や傷害事件も頻発した。伏見区深草では45年12月、23歳の男性会社員が帰宅中に多数の刺し傷を受け、3日後死亡した。男性は死の床で「進駐軍」「2人」「つけやがった」と口にしたという。また、現場の畑に極めて大きな靴跡が散乱していたのを男性の兄が目撃。診察医も「見たことのない傷で、外国人の仕業と想像できる」と記す。しかし犯人が捕まることはなかった。相楽郡でも米兵による集団暴行で住民が死亡したという。
占領期は被害者側が占領軍や将兵に賠償を求めることはできなかった。日本政府は終戦処理費から見舞金を支給したが、被害者側が警察の証明などをそろえ申請する必要があった。在日コリアンらは門前払い。壁は高かった。府庁文書に残る被害数(428件)は「氷山の一角にすぎない」(西川さん)。
数百人規模の集団申請もあった。45年秋には日本軍の武装解除のために爆弾を爆破処理中、舞鶴で作業員33人が死亡したり、周囲の民家が破損したりする被害が相次いだ。朝鮮戦争直前には、米軍の演習のため茶園や畑が踏み荒らされたとして城陽の農家団体が訴え出ている。
日常の暮らしの中でも占領軍は諜報(ちょうほう)網を張り巡らせた。朝鮮戦争反対のチラシを電柱に張っただけで後日、英文の逮捕状を持った警官が来たという証言もある。「米兵がガムを配るなどソフトに装っても、占領の本質には暴力や不当な抑圧がある」(西川さん)。52年のサンフランシスコ講和条約発効までは、あくまで休戦期。武力による占領は続いた。
ソース:京都新聞 2017年10月12日 17時00分
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20171012000095
占領軍が起こした交通事故を西川さんが緑の点で書き込んだ。東大路通や烏丸通で事故が多い=「古都の占領」より
http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2017/10/20171012130451map450.jpg 朝鮮進駐軍にリンチ受けたり
土地を取られた人は名乗り出て! 在日コリアンって一緒に戦ったのに日本の事を戦犯って言ってる頭のおかしい奴らだろ >>219
架空請求にお金払いましょうってほざくマヌケと同じだよお前。 在日「我々は敗戦国民ではない。日本の法律には従わない。」
こんなことを言ってやりたい放題。
なにか保護される権利でもあると言うのか? >>219
感謝は恥ではない。
国を作って貰ったんだから毎年、併合感謝祭するべき。 (なんで他国政府に頼る前に自国政府に頼らないんだろう?) そりゃ、在日は門前払いになるだろ。
七条警察署襲撃事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E6%9D%A1%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E7%BD%B2%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>1946年(昭和21年)1月24日に京都府京都市下京区で発生した襲撃事件。
>1946年1月18日、京都府七条警察署は、ヤミ米買出しをしていた朝鮮人を物価統制令違反として現行犯逮捕した。連行途中、
>犯人は隙を見て逃走、在日本朝鮮人連盟の支部に逃げ込んだ。警察は引渡しを要求したが『警察!?我々は戦勝国民で
>ある。敗戦国の警察の言うことなど聞かない』という勝手な論理を振りかざし朝連側は拒否した。
>1月24日、朝鮮人40人が七条警察署に押しかけ、署長に抗議した。また、終戦直後より朝鮮人と対立していた被差別部落出身
>の[1]的屋・博徒は、「不良在日外国人、七条署に押しかける」の報に接し、急遽500人が警察の応援に駆けつけた。このとき的屋
>の側には、朝鮮人排除を助けることで警察に恩を売り、その見返りとして闇市で自分たちへの取締を手加減してもらおうという
>意図があったとされている[1]。
>そして、署長が朝鮮人に手錠をかけられようとしたとき、署員とともに的屋・博徒も署長室になだれ込み、朝鮮人を実力で排除
>した。
>朝鮮人は反撃のために約700人を集結させ、他方、七条警察署サイドは図越組組長図越利一に応援を要請し図越は子分等を
>総動員して迎え撃つ準備を整え、そして七条警察署近くの京都駅前で的屋・博徒と大乱闘になった。
>警察はMPの出動を要請し、MPが駆けつけたことで漸く沈静化した。
>この事件で、被差別部落民[1]1人、朝鮮人数人が死亡、負傷者多数にのぼった。 むしろ在日に金出す根拠なんかあるのか?
叩き出すべきだろう >>1
ほんっっっっっっっっっっっっっっと
ビックリするぐらい露骨だよなw
この手の反日メディアはまったくと言っていいほど在日関係者であることを隠そうともしないよなw ねえ何で日本に密航者がいるの?
誰か拉致でもしたのか >>1
当時は日本の警察は外国人を取り締まることも逮捕することも出来なかったから、ようするに「管轄外」なわけです。 七条警察署巡査殺害事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E6%9D%A1%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E7%BD%B2%E5%B7%A1%E6%9F%BB%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>1946年(昭和21年)6月9日に京都府京都市下京区で発生した殺人事件。
>1946年6月9日未明、パトロール中の七条警察署(2012年廃署)の巡査が、不審人物5人を発見し職務質問をしようとしたところ、
>中の1人から突然発砲された。
>巡査は警笛を鳴らして追跡したが、弾は巡査の左胸部に命中しており、まもなく力尽きて倒れこんだ。巡査は駆けつけた署員
>に犯人の特徴を詳細に述べた後、直ちに進駐軍用救急車で病院に運ばれたが、同日午前3時5分に死亡した。
>京都府警察部は、直ちに捜査を開始し、犯人の朝鮮人5人を逮捕した。 当時の日本は Occupied Japan でないの?
米国政府に文句言うんだね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています