1953年(昭和28年)1月8日:中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』が、
「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題した記事を掲載。
尖閣諸島を日本名で「尖閣諸島」と表記し、琉球群島(沖縄)を構成する一部だと紹介する。
1958年(昭和33年)11月:北京の地図出版社、『世界地図集』発行。
尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。
1965年(昭和40年)10月:中華民国国防研究院、『世界地図集第1冊東亜諸国』初版出版。
尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。
1970年(昭和45年)1月:中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版)
において尖閣諸島は日本領として扱われ、「尖閣群島」という日本名で表記されている。
***1969年および70年に行なわれた国連による海洋調査で、推定1095億バレルという、
イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告***
1971年12月30日:中華人民共和国が外交部声明という形で尖閣諸島の領有権を主張。
中国は1971年まで領有権を主張したことがない
中国も韓国も理解していないようだが
国連海洋法条約は「歴史」を主権の根拠と認めていない
国際法で一般に認められていない理屈を持ち出している