支那で、平均して、1日あたり250件以上の暴動が起こり、絶えず多くの死者を出し続けている要因には、「加減を知らない暴力」が同国に蔓延しているためだ。暴動の動機については別議論が必要だ。しかし、往々にして、
鎮圧に当たる軍隊や警察は、人に向けて容赦なく発砲する。暴動を起こす側も取り囲んだ人物に死ぬまで暴行を加える。暴動自体が殺人凶器となっている現実がある。
銃器や刃物は凶器となり得るが、それ以前に、そのように残忍化する「心」それ自体を「凶器」と指摘せざるを得ない。
 確かに、共産主義は、社会をまとめる1つのモデルではあるが、道徳、人倫を教える「道」が共産主義には存在しない。支那の「文革」大虐殺の歴史に明らかであり、「人類」に貢献し得る理念、思想は存在しない。
欲求に翻弄されて、1つの畑を食い荒せば、次の畑に移動してまた食い荒らす。現今の支那はそのイナゴの大群に喩えることが出来るだろう。どれだけの日本人が犯罪の犠牲になり、命を失ったことか。
来る年も、また来る年も、韓国人とトップを争う外国人の犯罪事件の多さ。その犯罪史を紐解けば一目瞭然ではないか。

最近刊行されたR・Fジョンストン著、中山理訳、渡部昇一監修「紫禁城の黄昏」に詳述されている。この著書は第一級の資料価値があるため、東京裁判での封殺にあった。
後の国際連盟の「リットン調査団」は日本軍の自衛行動は100%認めなかったが、日本の行動には正当性がある事も認めた。支那は政治的騒乱、内乱、
社会的経済的不安で蒋介石中央政府に統治能力はないとし、他の外国にも不利を招く。支那政府は外国人の生命財産を保護し、商業居住、往来及び行動の自由を維持する国際条約上の義務違反として
日本軍の実質的行政管理を是とした。しかし形だけは列強の共同管理を提案した。日本はこれを不服として国際連盟を脱退した。
そもそも昭和12年、7/7に廬溝橋事件が起き、日本は不拡大方針で、現地解決の方針を出し、7/11に停戦協定に調印した。しかし蒋介石軍は西安事件での第二次国共合作で、漢奸の汚名返上のため、対日強硬策を採り、
7/17、現地での停戦協定を否認し、撤回した。その後日本軍に対する廣安門事件、郎坊事件、そしてあの有名な日本人虐殺事件である通州事件が起きた。
こうした悪逆非道の支那当局に対し日本国民の怒りが爆発し、本格的な戦闘状態になり、更に支那の空軍が上海で自国民を空襲・爆撃し、日本軍だと宣伝して、
上海でも日本海軍陸戦隊の将校や兵を虐殺したりして、上海事変となった。本格的な日支事変は日本軍の首都・南京攻略とで本格化した。
廬溝橋事件は、中共八路軍の発砲による謀略が定説となっている