明治政府は1885年から10年かけて、尖閣諸島に清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認し、日清戦争中の1895年1月、尖閣諸島の沖縄県への編入を閣議決定した。
 一方、中国側は「(中国名で尖閣を意味する)釣魚島は台湾省に属している。日本が台湾侵略の際に盗み取った」(中国外務省の洪磊(こうらい)報道官)と主張する。つまり、尖閣諸島は清国が領有する台湾の付属島として、
日清戦争の講和条約「下関条約」
(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲されたという論法だ。
 今回、石井准教授が発見した地図は、日清戦争前の段階で、尖閣諸島に清国支配が及んでいないばかりか、日本領だったという認識を、日本政府の閣議決定に関わらず欧州列強が持っていたことを示す。中国側の主張を否定する資料といえる。
 尖閣諸島を日本領だと判断した英国のスタンフォード地図店の地図は、当時最先端の航海技術と各国機関への情報網をもつ英海軍の調査に依拠したとみられる。
 当時の尖閣諸島周辺は、ともに英国領となっていた香港と朝鮮半島南部沖の巨文島を結ぶ海上ルート上であり、英国海軍にとって重要な航路だった。
 石井准教授は「英国にとって、航行の安全を確保するために、周辺海域の島がどの国に所属するかは重要な情報となる。地図業者は、現地の新聞から最新情報を得て、地図を作っただろう。少なくとも、
尖閣諸島に日本の支配権が及んでいたという国際認識があったことを示すといえる」と語った。
 世界地図の専門家の間では、スタンフォードの地図は海洋国家である大英帝国のおひざ元で発行され、その中でも当時の領土関係を比較的正確に反映した地図だと評価されている。
http://www.sankei.com/west/news/150624/wst1506240018-n3.html
1868年に発刊された地図「ハンド・アトラス」。現在とは島名が一部異なるが、「Hoapin−su」(尖閣諸島・久場島)の西側に国境線が引かれている
スタンフォードやシュティーラーなど19世紀後半の大家が製図した世界地図がこれまで、発見されなかった理由について、尖閣諸島文献資料編纂(へんさん)会の国吉まこも氏は
「大学や図書館などが所蔵する資料のデジタルアーカイブ化は近年始まったばかり。
しかも、尖閣諸島問題は研究者が少ない。研究が進めば、こうした新発見は次々と出てくるだろう」と指摘した。(九州総局 奥原慎平)
【用語解説】無主地先占 国際法において、いずれの国にも属していない無主の地を、他の国家に先んじて支配を及ぼし、自国の領土とすること。