朝鮮通信使の世界遺産…「誠心」と「平和」で韓日協力深めよう
<寄稿>魏聖銓

 私は大学で韓国語を教えるかたわら、韓日両国の友好の歴史や人々の交流について研究してきた。両国の友好に尽力してきた人物について調べるうちに韓国の孤児のために生涯を捧げた「田内千鶴子」、韓国の山々を愛し韓国人に愛された「浅川巧」などと共に、朝鮮通信使と多くの交流を実現した日本の儒学者「雨森芳洲」に出会った。

 文禄慶長の役(壬申倭乱)からの両国の困難を乗り越え、江戸時代に260年以上も続いた平和使節団「朝鮮通信使」。ここには日本人と韓国人の交わり、さらに詩文唱和に見られる漢詩、芸術性の高い絵画や舞踊、朝鮮通信使をもてなすための当時の御馳走に関する資料など興味深いものが多く残されている。

 とくに、雨森芳洲が記した書物「交隣提醒」からは、「多文化共生」、「相互理解」、「国際性」など現代の外交にも活かせる思想を学ぶことができる。私は、朝鮮通信使の踏査のために、朝鮮通信使が立ち寄ったという静岡の清見寺をはじめ、両国の外交の場となった対馬、釜山など、韓国と日本のゆかりの地を幾度も回った。ゆかりの地を廻って数々の景勝地に恵まれ、往復4400qの旅程に当時への思いを馳せた。

 残された書物や手紙などから、いかに多くの人が両国の友好を保とうとしたかという志の高さを知ることができた。また現地の人々との出会いを通じて両国の歴史、地理、文化、考え方の違いについて多くを学んだ。現代に息づく朝鮮通信使は人から人へと継承する。まさに「温故知新」である。

 朝鮮通信使数100人が江戸まで、ときに日光まで訪れたとき、大した娯楽のない当時の日本の人々にとって、朝鮮通信使の行列はどれほど珍しく楽しみであったかは想像に難くない。行列を真似た「唐人踊り」と呼ばれる踊りが今に伝わり、日本各地で継承されているなど、今も朝鮮通信使の足跡を辿ることができる。

 今回の世界記憶遺産への登録については、韓日両国の民間団体から申請されて登録に至ったことが意義深い。とくに在日韓国人の辛基秀さんをはじめ、上田正昭さん、仲尾宏さんの功績がなければ、2007年朝鮮通信使400年祭もなかったかもしれない。そして400年祭から10年後にこうして世界記憶遺産に登録される快挙に繋がったわけである。今後、朝鮮通信使のキーワードである「誠信」と「平和」を掲げて、日韓が協力しあい、世界の多くの人々に知ってもらえるような世界記憶遺産となるべく継続した努力が必要だと思う。

 私も微力ながら各地に埋もれている史料などの発掘、関連史跡の案内板設置、重要な遺物のレプリカ作成、記録のデータベース化などを訴えながら、朝鮮通信使を通して両国が友好関係を結びながら、国際化をアピールする機会にできるよう努力したいと考えている。

 魏聖銓(ウィ・ソンジュン) 68年ソウル生まれ。法政大学(兼任講師)、専修大学などで韓国語・韓国文化を教えている。日本語日本文学博士。
(2018.01.01 民団新聞)

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