●明治の日本に感嘆したイザベラ・バードは朝鮮にも行っている。家は掘立小屋、悪臭を放つドブ、女に名はなく、子を産むとおっぱいをむき出しにする風習はニューギニアにだってない。奴隷制も生きていて、民の4割を占めた。彼らに人権はなく
、両班は懲らしめに縛った小作人の足の間に棒を入れて足の骨を折る拷問をやる。汚職は日常化していた。バードは「内部からの改革は不可能」と匙を投げている。
●セオドア・ルーズベルトも実態を知って20世紀早々、朝鮮にあった米国公館を閉じた。前代未聞の「国交断絶」だった。朝鮮が文句を言うと、統治能力もない、国じゃあないと答えた。そんな朝鮮を「日本だけは思いやりをもって接した」と米公使シルが書いている。
●福沢諭吉もその一人だ。彼は平仮名を真似た諺文を歴史の中から掘り出し、普及させた。ハングルのことだ。朝鮮の青年を日本に留学もさせた。
しかし彼らは慶応義塾の金庫を壊して金を盗み、遊興にふけった。諭吉は「支那朝鮮に特別の会釈に及ばず」(脱亜論)と、失望感を隠さなかったが、平気で恩をあだで返す彼らの習性に多くの日本人は気づかなかった。
                                   《折節の記 正論2012/9月号》
「朝鮮幽囚記」 ヘンドリック・ハメル (生田滋訳 1969年 平凡社東洋文庫)
(ハメルはオランダの船員で、長崎へ向かう途中船が難破して朝鮮に流れ着き、1653〜66年の間出国が許されず朝鮮に留めおかれていた。)
この国民の誠実、不誠実および勇気について
彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。
「新・韓国風土記 第1巻」 ソウル市根の深い木社編 安宇植訳 1989年 読売新聞社
両班階級は常民との約束は到底信用できないもの、彼らに誠意や真実、信義や正直、良識などの徳目を期待するのは無駄なことと決め付けた。さらには、そうした徳目を悪魔に売り渡した階層として扱うより他ないとまで認識するようになった。
常民階級が徳目に背を向け… したがって彼らは、ほんのわずかでもおのれの利益につながると判断すると、喜怒哀楽の感情を度が過ぎるほど、行為や言葉によって示した。
大声を張り上げたり、暴言を吐いたり、下卑た言葉で口汚く罵倒したり、時には腕をまくったり拳を振り上げたり、目を剥いて睨んだり胸ぐらを掴んだりするのもそのためであることが少なくなかった。
そうしてこうした粗野な言動こそが、しばしば彼らに利益をもたらしたのである。