日清戦争に負けた清朝は、二千年を超える伝統のシステムを放棄して、日本式の近代化に切り替えたが、このとき、これまで起源の違ったことばどうしの間の仲介役であった文章語も廃棄して、
日本語に置き換えた。そもそも漢文の文章語自体が、
どの中国人にとっても外国語だったのだから、この切り替えは簡単だったのである。

 やがて日本語の達人の魯迅(ろじん)が現れて、一九一八年、人肉食をテーマとした小説『狂人日記』を発表し、これがもとになって、日本文を一語一語翻訳した中国文が爆発的に流行することになった。これが、すなわち「中国語」の誕生であった。

 しかし、先に言ったように、いまだに中国全土に通用する「中国語」は存在しない。「普通話」は、かつての漢文と同様、地方の中国人にとっては外国語にひとしい。つまり、われわれ日本人が考えるような、
同じことばを話す十二億の中国人はいないのである。

 ひとつの国民としての中国人は存在しないのだから、国民国家としての中国の歴史もない。政府によって「中国の歴史」として教えられるものは、じつは、
ひとりひとりの中国人にとっては、何のかかわりもないものだ。だから、「歴史」とはなにかと問われれば、
中共政府に教えられたとおりに、情熱を込めてオウム返しに答えることになるが、腹の中では、その場さえつじつまがあえばいいのだ、と思っている。中国人は本心では「どうせ歴史は政府の宣伝さ」と考えていて
、まじめに向き合ってなんかいない。これが中国人にとっての歴史の真相である。

反日プロパガンダにトドメを刺すために 日中歴史の真実
■中国人にとって「歴史」とは何か(2)
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「どうせ政府の宣伝さ」という彼らの本心を見抜け


東京外国語大学名誉教授 岡田英弘