オリファントは尚も書いている。
 「我々の最初の日本の印象を伝えようとするには、読者の心に極彩色の絵を示さなければ無理だと思われる。シナとの対照がきわめて著しく、文明が高度にある証拠が実に予想外だった」

 セイロン、エジプト、ネパール、ロシア、中国などを見聞して旅行記を著わしつつ、日本に来た29歳の英国人、オリファントは日本に高度の文明が存在したことを驚きで表現したのだ。予想外の「文明」に彼は感動し、母親への手紙に次のように書いた。

 「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナへいくのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます」
諸君 平成15年7月号
 ・おおらかで素朴な、すべてを受入れ包み込む宥和的な文明がここには存在し、半島と自分を区別している。 
 「日本人は自分達より優れたものをあっさり認める。そして持ち前の好奇心でその強味を徹底的に調べて学ぶ」。
先進文明を取り入れるには謙虚さが必要であるが、それが中国人にはない。
 自国の悪には過剰反応し、他国の悪は目に入らない。これはソフトで、清潔で、つつましい生き方、静的で、
優しい振る舞いに無条件に価値を見る日本人の社交感覚に対応している。
 道徳的に問責されたとき、理に合わないのでこれを拒絶しょうとすれば論争的エネルギーを要する。
それは担当官個人の情熱を必要とし、厄介な重荷であり、しかもあまり美しい行動とはいえないと思うのに違いない。
そう考える気質がすべてに先行する。抵抗するくらいなら潔く非を認める方が、身の汚れを清めることに少しでも役立つ。
こうして自己負担も免れられる。罪は分量ではない。小さな罪でも罪である。罪の大小を他国と比較すべきでない。
少しでも罪があればその汚れは清浄化され、乱れは整頓されなくてはいけない。
 そういう意味では、日本人は身の周辺の秩序のある美感をなによりも大切にしているのかもしれない。
しかし独りよがりの、恐ろしい性格といってよいかもしれない。