清帝国は18世紀末に最盛期を迎えたが、その後は人口過剰
とそれに伴う自然破壊で、飢饉、流民、反乱、内戦の自壊プロ
セスに陥っていった。日本人とは違って、もともと植林を行わ
ない漢民族のこと、エネルギー源として樹木を乱伐し、その結
果、降雨が多ければ洪水、少なければ干魃に苦しめられる。
 1810年の山東大干魃、河北大洪水、湖北霜害で900万人が
死亡し、翌年には2千万人が餓死した。1849年の大飢饉では
1375万人、1876〜78年の大飢饉では1300万人が餓死している。
[1,p106]  こうした災害のたびに、大量の農民が土地を失って流民と化
し、その一部が盗賊となって、他の土地を襲う。さらに新興宗
教が興って、流民を吸収しつつ、大規模な反乱を起こす。
 1851年から14年間、猛威を振るった太平天国の乱は、推定
死者数5千万とも言われる世界史上最大規模の内戦だった。キ
リスト教と道教的土俗信仰が結合したカルト集団で、満洲王朝
打倒を旗印に、「戦死することは昇天することである」と民衆
に信じ込ませて、北京に迫った。こうした新興宗教による反乱
が何度も繰り返された。