●なぜチーズタッカルビは生まれたのか

 さて、そもそもチーズタッカルビは新大久保コリアン街で、いかにして生まれたのだろうか。新大久保コリアン街が発展したのは、2002年に日韓が共催したサッカーのワールドカップ辺りからで、翌03年にはNHKのBS2でテレビドラマ「冬のソナタ」が放映され、あまりの反響の大きさから04年にはNHK総合でも再放送された。

 いわゆる韓流ブームが、「冬のソナタ」のファン層である中高年女性を中心に起こり、韓国旅行がブームにもなった。

 ところが12年に当時の李明博大統領が竹島に上陸した後には、急速な日本人の客離れが起こり、約500店ほどあったコリアン街の飲食、雑貨などの店は1割ほどが閉店。人通りは激減し、大半の店に閑古鳥が鳴いて、すっかり寂れてしまっていた。

 市場タッカルビの前身である「7080トッポキ」というトッポギの専門店も、15年の時点では倒産寸前だった。

 しかし、同店はコリアンタウンのレストランの問題点は、「味の平準化」にあると考えた。「どの店に行ってもそこそこおいしいが、同じような味になって、飽きられてしまっていた」と、経営するハッピーエンタープライズ外食事業部の姜光植部長は振り返る。

 そこで、姜部長は顧客単価の低いトッポギに限界を感じ、もっと五感に訴えて単価の取れる料理はできないのかとの発想で、「冬のソナタ」の舞台でもある、韓国・春川の名物料理タッカルビをアツアツの鉄板で提供するプランを思い付いた。トッポギの店だったので、卓上で使える鉄板とカセットコンロはふんだんにあった。

 出入口の横に倉庫があったが、オープンキッチンに改造し、外からでも調理風景が見えるようにレイアウトを変更。店員が毎日、店の前に立ち、試食をすすめる販売促進活動を続けると、顧客が口コミで急増し、改装から1カ月で満席になる繁盛店に再生したという。タッカルビという料理が日本では全く普及していなかったので、まずは試食してもらうことから始めたのが奏功した。

 それでも行列ができるまでには至らず、もっとインパクトのある料理でなければ顧客を呼び戻せないと思案した末に編み出したのが、タッカルビにチーズを入れるチーズタッカルビであった。