「あれは、すでに吉木が客員研究員になってしまったので、海自に義理立てして載せたというのが、本当のところらしいですよ。吉木が客員研究員に就くことは、河野さんも知らなかったそうです。ただ、河野さんと武居さんは個人的にも仲が良く、その武居さんの推薦で、吉木を海幹校が呼んでしまったので、なにか実績をつくらないとマズいだろうと。
それで、河野さんは(吉木から)インタビューを受けたし、鈴木社長にも紹介したと聞いています。ただ、吉木があまりにもヒドくて、鈴木社長から『(吉木の)原稿を掲載しろ』と指示されたWiLL編集部の方は大変だったそうです。
私がワックの関係者から聞いたところでは、吉木は『自分では、長い原稿を書けない』と言ったそうで、(編集部がゴーストライティングする)聞き書きで記事を作ったところ、今度は『長い原稿は直せない』と言い出し、最終的に(掲載された形の)一問一答になった、と。これで客員研究員なんて恐ろしい話です」

こういった印象を吉木に抱いているのは、彼だけではなかった。昨年の6月21日、吉木は、客員研究員の立場で広島、江田島の海自幹部候補生学校で講演をしたが、ある聴講者が前出のOBと同様の感想を抱いていた

「テーマは〈古事記を知ることは己を知ること〉だったのですが、支離滅裂でびっくりしました。古事記は凄いというところから話が始まったのですが、次から次に論点がずれて、最終的には何を言わんとしているのか、まったく分かりませんでした」

しかし、本当に、吉木の話は、それほど〈ワケが分からない〉のか。2017年12月14日、吉木講演会に参加した、ある者のメモを掲載する。

――吉木さんの〈古事記と安全保障〉がテーマの講演に参加してきました。吉木さんは「戦後の日本は、自分さえ良ければよい、という誤った個人主義にミスリードされている」「個人主義は、国家主義と相反する(敵対する?)ものとして生まれた」「連合国や社会主義に傾斜した、バランスの悪い個人主義になってしまった」と現在の日本の個人主義について嘆いておられました。

その後、古事記を例に、日本では本来「他者を重んじる精神」や「和を結ぼうとする精神」が尊ばれており、それを守り、受け継ぐことが、他者、大きくは「日本国を考えることに繋がるのではないか」「日本独自の個人主義を考えなければならない」と主張していました。それが最終的に、安全保障に繋がるといった趣旨でした。

確かに、現在の日本の個人主義に対して、吉木さんがおっしゃることに、共感はできました。