>>139
そうっスか?
漢文
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。
書き下し文
葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰わく、吾(わ)が党に直躬(ちょくきゅう)なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。子これを証す。孔子曰わく、吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。
(論語 子路扁)

・・・と、「親の羊ドロボー見逃したものが正直者」で「親の犯罪をただしたものは正直者じゃない」と言っております。
あと、「法」というのはシナの諸子百家の一つ、「法家」ですら「現代の法」の感覚とは違います。
今は「君子と言えども法の下にあり」が当然ですが、向こうの法家の法則とは「家臣に命令を聞かせるための方策みたいなもんとなっております。
・・・・当然、君主は守る必要なんぞありません。
ゆえにあそこは法治ではなく「人治」と言われるのだと思います。

さて、孔子より遅れて100年のソクラテスは「ソークラテスの弁明」にて、
(無実の罪で牢につながれたソクラテスに対し)
弟子「先生は無実です、牢獄から脱獄しましょう」
ソクラテス「無実だからと言ってほかに罪を重ねて良いわけあるまい」
と毒ニンジンをあおって亡くなられております。

たぶん法の感覚が、なんか違うんじゃないかと思います。