自由か、管理か。インターネット空間のあるべき姿を巡り、世界が揺れている。

 5月末、中国雲南省の省都・昆明の駅で、行き交う人の波に警官が鋭い視線を飛ばしていた。一見しても気がつかないが、彼らがかける眼鏡には、先進の技術が詰め込まれていた。

 顔認証機能付きの「ハイテク眼鏡」。相手の顔を見ると、警察のデータベースと照合され、容疑者の疑いがあれば警告音が鳴る。その間、わずか3秒以内。警官の視界には、容疑者の人相とどの程度一致したかという情報が、まるで2メートルほど先のディスプレーを見ているかのような感覚で浮かぶ。

 広東省深圳の横断歩道に設置された監視カメラも、顔認証機能で道行く人々の顔を識別している。信号無視をする人がいれば直ちに身元を割り出し、名前などの情報とともに見せしめのように警察のホームページなどに映し出す。

 プライバシーのない監視社会は、SFの世界では「ディストピア(暗黒郷)」と呼ばれてきた。それを地で行くような現実が、進歩する技術と共産党政権が握る約14億人分のデータによって生まれている。

 4月、国家主席の習近平は共産党の会議で、「ネットの安全がなければ国家の安全はない」と強調した。

 中国は「グレートファイアウォール」と呼ばれる検閲システムなどを駆使して、体制に都合の悪い情報を排除し、ネット空間を「国家主権」という名の壁で取り囲む。

 これに対し、インターネットを生んだ米国は「ネット空間は自由であるべきだ」との理念を掲げてきた。しかし、2013年、米中央情報局(CIA)職員だったエドワード・スノーデンは、米政府が大量の個人情報を収集していたことを暴露した。ITの進歩で様々なサービスの利便性が高まる半面、消費者が個人情報を企業に握られることに慣れきっている現実もある。いまやプライバシーは「ぜいたく品」。カリフォルニア大バークリー校教授のスティーブン・ウイーバーはそう言いきる。

 インターネット空間は、どうあるべきか。秩序が確立していないこの分野で、主導権を巡る国際的なせめぎ合いが始まっている。

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朝日新聞デジタル
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