北里柴三郎は1889年に世界で初めて破傷風菌の培養に成功するが、
さらに、コカイン常用者の非中毒から、血清療法を世界で初めて生み出すという
前代未聞の功績をあげている。
この後、日本の医学会は急速に発展していくことになる。

例えば、北里以後の50年足らずの間の日本人医学者の功績だけでも、これだけある。

1889年 北里柴三郎、破傷風菌の培養に成功する。
1894年 北里柴三郎、エルザン(フランス)、ペスト菌を発見する。
1897年 志賀潔、赤痢菌を発見する。
1900年 高峰譲吉ら、アドレナリンの純粋分離に成功する。
1906年 田原淳、心臓の伝導系(田原氏結節)を発見
1911年 鈴木梅太郎、オリザニンを創製。
1913年 野口英世、梅毒スピロヘータを発見する。
1915年 山極勝三郎、市川厚一、人工タール癌の発生に成功
稲田竜吉・井戸泰、レストスピラを発見する。
1926年 三宅速、胃癌における「ボールマン分類法」を日本に伝える。
1932年 吉田富三、佐々木隆興、肝臓癌の人工発生に成功する。

これらは、西欧人なら全て全員ノーベル賞を受賞している大発見だ。

実際、北里は第1回ノーベル賞候補になり、野口も3回に渡って最終候補になっている、
山極・稲田・井戸も候補に挙がっていたことが後に明らかになっているが、
いずれも、人種差別により受賞には至っていない。