英国人女性旅行家イザベラ L・バード(旧姓)Isabella L・Bird(イザベラ L・ビショップ夫人)(Isabella L・Bishop夫人) 1894年1月(62才)〜1897年3月(65才)、
4回に渡り朝鮮各地を旅した紀行文『Korea and Her Neighbors朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』時岡敬子訳『
朝鮮紀行』講談社学術文庫「注。1894年から1895年日清戦争。
1895年大韓帝国独立。竹島編入は1905年2月22日。日露戦争勝利(1905年9月)。大韓帝国保護国(1905年10月)。
日本統治は1910年から。日本と朝鮮、まさに激動の時代の第一級の真実の記録であり、紀行文だ。日朝の原点が記録されている。日朝必読の書だ。」
第二章首都の第一印象 (1894年1月)・・・城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、
紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、
したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。
悪臭紛々のその穴や溝(正確にはみぞ)の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。
路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。
とはいえソウルにも「大掃除」はあり、漢江の砂地や渡し船の上や麻浦からソウルにいたる路上で、みぞの中身を荷かごに積んで運ぶ牛を数えきれないほど見た。