ズバリ朝鮮の「三国史記」を読んでもすべてが朝鮮半島に日本の強烈なプレゼンスがあったことを書いている。アカデミックな立場から任那日本府の存在は否定しようもない。だが韓国の歴史研究は「ウリナラマンセー」ナショナリズムオンリーなので、
任那日本府を完全否定する。日本においても戦後、皇国史観のみならず過去を全否定する風潮の広がりと左翼史観の蔓延、および朝鮮人が怒るからという「外交的配慮」によって任那日本府の存在を否定するようになった。学問が政治的にねじ曲げられた。
広開土王が日本を大敗北させたことは、韓国人にとって痛快であり、是非ドラマでも描きたいだろう。だがそのためには朝鮮半島の南側、ほぼ今の韓国の国土が日本の属国に成りはてていたという真実を描かざるをえない。
千数百年前、ほぼ今の韓国の国土にあたる部分が日本の支配下にあったという真実は、豊臣秀吉の日明戦争(文禄・慶長の役)や1910年の韓国併合が侵略ではなく 奪還だった
E・J・オッペルト (Ernst Jacob Oppert, 1832~1903)
独特で高い水準の文化を誇り、文明化された暮らしを営んでいると公言できる国の中で、
朝鮮ほど民族の起源や歴史に関する文献が不完全で不足な所も珍しい。
学者然とした朝鮮人のうち、誰も自分の国の歴史を記述しようとしたり、それができる人はいないらしい。
彼らは中国や日本の史家が残した記録が、付け加えることがない完全なものだと信じているようでもある。

P・G・フォン・メレンドルフ (Paul Georg von Möllendorff, 1847~1901)
清国はその隷属国が危急な状況に陥ったとき、果たして日本から保護してやれるのか、
当時の情勢を見る目がある人にはきわめて懐疑的に思われた。
したがって朝鮮は清国以外の別の力に頼るべきだと、夫は最初から明確な考えを持っていた。
当時の状況を考えると、それはロシアしかなかった。

ウィリアム・グリフィス (William Elliot Griffis, 1843~1928)
これは朝鮮人による歴史の塗装作業の良い見本である。つらい現実には国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。さらに後世の事件に対しても、公的な虚飾が巧妙に施され、敗戦すら輝かしい勝利に変えられる。