【中央日報】 ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか [11/08]
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壬辰倭乱当時、日本軍の火縄銃の威力に衝撃を受けた朝鮮は、国力を注いで鳥銃の開発に着手した。50余年後の羅禅征伐(1654、1658年)で朝鮮が派遣した鳥銃部隊はロシアの南下政策を阻止するのに成功した。(写真=サイロンピクチャーズ)
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最近放送が終わったドラマ『ミスターサンシャイン』で描かれた大韓帝国陸軍の姿は烏合の衆に近い。むしろ正規軍よりも義兵に加担した砲手の実力がはるかに優れ、ドラマではその活躍に重点が置かれている。
しかし朝鮮軍の射撃術はかつて東アジア、いや、もしかすると世界でも認められるほどの実力を備えていた時代もあった。ただ、最初は非常に弱く、初めて目にした時も友好的なものではなかった。
◆壬辰倭乱、朝鮮が鳥銃に目を開く
「倭奴は戦闘に慣れていて素早く進軍したが、彼らが勝利をつかんだのは実際、この鳥銃のためだ」(李ス光、『芝峯類説』)
飛ぶ鳥も撃ち落とすとして名付けられた鳥銃は壬辰倭乱(文禄の役)当時、朝鮮軍には恐怖の対象だった。矢と違って当たれば即死することが多いうえ、大きな音が響くため、数百人が続けて鳥銃を撃てばまさに「魂飛魄散」だったという。
鳥銃兵を前面に出して日本軍は破竹の勢いで攻めた。1592年4月13日、小西行長が率いる第1軍1万8000人が釜山浦に上陸し、翌日に3時間で釜山鎮城を占領し、その翌日には2時間で東莱城を攻撃して陥落させた。続いて忠州(チュンジュ)弾琴台(タングムデ)で申リプ(シン・リプ)が率いる朝鮮最精鋭部隊を全滅させ、5月3日に漢陽(ハンヤン)に入城したのは韓半島(朝鮮半島)に上陸してわずか20日目のことだった。このため朝鮮指導層では戦争で負けないためには必ず鳥銃を確保する必要があるという認識が形成され始めた。
翌年の1593年2月から朝鮮は訓練都監と軍機司で鳥銃の開発に着手した。鳥銃を撃つ方法も教え、武科科目に鳥銃分野を新設した。また開発するうえで参考にする「サンプル」確保にも注力した。
「これから戦場で得た鳥銃はむやみに使用せず、すべて集めて各陣にこれを学習させる。そしてそれを体得した人たちがそのほかの人に誠意を持って教えるようにする」 (『宣祖実録』26年11月)
1594年には柳成龍(ユ・ソンリョン)が都提調となり、鳥銃と火薬製造の責任を負うことになった。早くから鳥銃の重要性を認識して大きな関心を見せた、当時の数少ない指導層だったからだ。「『紀効新書』(明の兵法書)によると、鳥銃は命中する兎の数が弓矢の5倍、快槍の10倍にもなる」(『西刻W』)
海上で戦った李舜臣(イ・スンシン)も一時は鳥銃を研究した。軍官らに鳥銃を研究させ、1593年8月には日本の鳥銃と似た正鉄銃筒を作って朝廷に進呈したりもした。しかし性能が良くなかったという。わずか4カ月後、宣祖は「我々が作った鳥銃は粗悪で使えない。もう倭人の精密な鳥銃を基準にして、そのまま製造しなければいけない」と述べた。結局、開発に限界を感じた朝鮮の朝廷は発想を転換することになった。
2018年11月08日15時37分
[? 中央日報/中央日報日本語版]
https://japanese.joins.com/article/930/246930.html?servcode=100&sectcode=120
https://japanese.joins.com/article/931/246931.html?servcode=100&sectcode=120
>>続きます。 >>1の続き。
◆倭人捕虜を鳥銃開発に投入
宣祖は投降した倭人から鳥銃と火薬の製造法を積極的に受け入れ、技術の開発に拍車を加えるよう命じた。独自で開発できないため技術者を確保しようという方向を定めたのだ。
「今回捕まえた倭人が煙硝を作る方法を知っているという。この倭人は殺しても得るものがないため命を助けて、すぐに職人を連れていって、その方法をすべて把握するように兵曹判書の李恒福(イ・ハンボク)に密かに伝えるべき」 (『宣祖実録』26年3月11日)
今でいうと国防長官にあたる李恒福に密命を出し、敵軍の捕虜を処刑せず鳥銃に必要な技術を引き出すよう指示したのだ。3カ月後には処遇に言及した。
「捕虜の倭人2人のうち1人は煙硝を作ることができ、1人は鳥銃を作ることができるというので、煙硝を作る者は寧辺(ヨンビョン)に送って秋から始めれば多くの煙硝ができるはずで、鳥銃を作る者は鉄が生産される村に送れば多くの鳥銃を作り出せるだろう。その倭人にまだ鎖をはめているというが、殺さないと決めたのならそうする必要はなく、鎖を解くのはどうか」(『宣祖実録』26年6月16日)
「倭人が投降してきたので保護するしかない。妙術を獲得できるなら敵国の技術は我々の技術だ。外敵だからといってその技術を嫌って身につけることを怠けてはならず、着実にするよう備辺司に伝えるべき」(『宣祖実録』 27年7月29日)
加藤清正の配下の将帥として戦い、朝鮮に帰化した金忠善(キム・チュンソン、沙也可)も活躍した。彼の息子、キム・ギョンウォンによると、「父(金忠善)が投降した後、1693年に朝廷は訓練庁を設置し、降倭(降伏した倭軍)300人を集めて火薬を作り、火砲を作った」という。このように朝鮮の鳥銃開発の成功の裏には投降した日本人のノウハウ伝授があった。
>>まだ続きます。 「東莱府使殉節図」。東莱城は日本軍の圧倒的戦力のため2時間で陥落した。(中央フォト)
https://japanese.joins.com/upload/images/2018/11/20181108153747-1.jpg
>>続き。
◆ロシア軍を撃破した朝鮮鳥銃部隊
努力は実を結んだ。壬辰倭乱末の1597年1月、判中枢府事の尹斗寿(ユン・ドゥス)が鳥銃を製造できる投降倭人をソウルに呼んで鳥銃を製作させようと建議すると、宣祖は「我々の職人もうまく作ることができる」として受け入れなかった。国内の製作技術がそれなりのレベルになっていたことが分かる。
朝鮮の鳥銃開発が結果に結びついたのは半世紀ほど過ぎた羅禅征伐だ。清はアムール川一帯まで進出したロシア軍隊と衝突したが、戦力で劣勢になると、朝鮮に鳥銃部隊の派兵を要請した。
朝鮮・清連合軍はロシア軍に対抗して勝利したが、清側は当時活躍した朝鮮鳥銃部隊の実力に驚いた。1次羅禅征伐の成果を受け、清側は2次羅禅征伐でも鳥銃部隊の派兵を要求した。当時、朝鮮のベテラン射手200人が投入されたが、彼らは清側の鳥銃部隊の要請で射撃の手本を見せるほどすでに圧倒的な実力の差が認められていた。
2次羅禅征伐で朝鮮・清連合軍は大勝した。ロシア軍は戦死者220人を出した半面、朝鮮軍は8人にすぎなかった。ロシアの南下は中断し、清とロシアはネルチンスク条約を結んで現在の領有権を認めるラインで終わった。
当時、欧州では一定の隊形を組んで一斉に射撃をする方法が一般的だったが、全国から特等射手として厳選された朝鮮鳥銃手はマスケットで照準射撃し、命中率が高かったという。
しかし鳥銃が朝鮮の歴史の記録でスポットライトを受けたのはこの時が最後だった。朝鮮ではその後200年間ほど戦乱がなく、支配層は朋党政治に巻き込まれ、国防力の確保より性理学的秩序の確立に没頭することになった。また、三政の紊乱で租税秩序が崩れ、新しい技術開発どころか、鳥銃部隊を維持する国防費の確保さえも難しい状況になった。
その後の丙寅洋擾や辛未洋擾などの歴史では朝鮮鳥銃部隊の活躍像は見られない。辛未洋擾でも朝鮮軍は343人の戦死者が発生したが、退却した米軍は戦死者3人にすぎなかった。200余年前の羅禅征伐でロシア軍を阻止したのとは違い、朝鮮の劣悪な戦力は列強の侵略を阻止するのに対応できなかった。
先日、サイモン・テイラー英ケンブリッジ大経済学科教授は韓国メディアのインタビューで「原子力発電所技術が世界最高レベルの韓国が脱原発をする理由が気になる」とし「時間が過ぎれば海外原子力発電所の受注も難しくなり、産業基盤が瓦解する恐れがある」と述べた。有力と期待された英国の原発受注が失敗しながら出てきた指摘だ。
原発技術は韓国が元祖ではないが、数十年間にわたり国家的な育成努力と多くの税金を投入し、世界的なレベルを確保することになった産業だ。今はその収穫を得る時たが、予想できない難関に直面している。政権が交代するたびに政治的な判断で核心産業の興亡が左右されれば後に悔やむことにならないか心配だ。
>>おわり。 ホルホル好きだねぇ
歴史をコリエイトする民族に未来は無いニダよ 小説家になろうという自作小説投稿サイトに投稿した、ぼくのかんがえたちょうせんのれきし、かな? >>ドラマではその活躍に重点が置かれている。
韓国の歴史はドラマから作るものなあ。 >世界最高レベルの韓国が脱原発をする理由
資金と技術が共にないからだろうよ
そんなの素人の俺でも分かる >海上で戦った李舜臣(イ・スンシン)も一時は鳥銃を研究した。
そこで戦死したのに魂が乗り移ったのかな?すごいなぁ。 歴史書に新しく書き込めば正しい歴史が作れるんだねwwww まーたウリナラファンタジーの話かよ
歴史とは区別しろボケ また新しい韓国起源説が生まれるな
種子島は古代韓国がイギリスから伝来された鉄砲を元に作った鳥銃を元に設計された 北も南も同じ朝鮮人。どちらも日本と戦ったと捏造する。 >>31
自己訂正
イギリスじゃなくてポルトガルだったかな 世界で一番フィクションとノンフィクションの壁が薄い国w なんでもコピーで済ませるなんてまるで中国人みたいだな
そういうとこまでマネしてたら朝鮮人が起源だって主張できなくなるだろ!アホか!氏ね! 水車も作れなかったのに、
よくそんな精巧な武器が作れたものだ。
突っ込めば突っ込むほどボロがでるファンタジー、というよりも
統合失調症。 はい! 妄想はそこまで・・・ 強かった オナニー・・・ 道端でウンコしている乞食がロシアを制圧wwwwwwwwww >>33
マスケット銃(マスケットじゅう、英: Musket)は、銃身にライフリングが施されていない先込め式の滑腔式歩兵銃である。
このため、散弾も発射可能であった。
正確にはマスケットであり、この語だけで銃であることも意味しているが、この語が一般的でない日本では「銃」を付して呼ばれることが多い。
中国では「鳥銃」という。 ←・・・・韓国関係ないなw 日本の技術に驚き羨ましがるも自分たちでは作れなくて、
日本人連れてきて作らせて技術盗んで、自分たちで作れるようになったからもういらない
ってなにも変わっていないけど今の韓国人の妄想だから当然か たまに傑出した才能が出ても
それをすべて無駄にするだけの能力が朝鮮人には備わってるってことだな。 ほう
鉄砲鍛冶が参戦していたか?
…………………これで良いのか? >>40
コピーすら作れなかったんだよ。朝鮮にあったのは、日本から奪った鹵獲品だろう。
そして、それが消耗して使えなくなったから鳥銃部隊とやらは消滅したと。
本当にあったかどうかも不明だけど。 なんか、みっともないぐらい英雄に飢えてるんだなあ。 >>2
なんで銃職人が前線にいるんだよ
なろう小説でもそこら辺の設定ちゃんとしてるぞ >>47
リアル生活で下にいる奴ほどネットで上を取りたがるって研究データが出てる
要するにそういうことだよ >>52
朝鮮半島には英雄らしい英雄がいませんから > 【中央日報】 ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか
ロシア軍をやっつけたと思ったら鳥銃部隊だけに「鳥」を撃って逆にロシアから撃たれて消滅したんだろう。
ゴキブリ朝鮮人は大昔から妄想が得意だからな。 >>42
撃退だろ
しっかり損害が相手の100倍以上になっている
そこにねつ造がないのは逆にびっくり >>21
たしか日本だと上杉謙信が鉄の馬と鉄の鳥と鉄の船に乗った男達とともに天下統一したんだったよな >>62
1637年が三田渡の盟約だよな。
朝鮮人は清に徹底的にボロボロにされて、三詭九頭叩して許してもらった。 むかしは立派な民族だったのに、いまやどん底にまで、落ちぶれたのか、
もともと辺境のゴミみたいな蛮族で、立派な歴史なんて嘘だらけなのか、どちらかだな。 ライフル切ってない銃で照準射撃なんか出来るわけないだろ
ほんまに朝鮮人はアホウだな >>3
結局自分等では、なんも作れんかったってことでええやんな >>47
虚構と妄想を史実にしちゃうんだから同列になれと言われても無理だわ まず、読み進めたらやっぱり清と連合して戦っていたことが分かる
この時点でまた自分を過大評価だろうなと
そして、割と文献から引用し続けているのに、清より優れていたって話になってから一度も文献を引用していない
これもまたいつもの我田引水だろうなと思う
とりあえず調べる前の印象はこうですが、調べたらきっともっと酷いんだろうなと思っている もういっその事、ナポレオンやヒトラーも勝てなかったロシア軍、
ソ連軍に唯一勝った「無敵朝鮮軍」とかにした方が読み応えがあるだろ。 最初から存在しないわな。
得意の性接待で許してもらったんだろ。 >>62
清と対等に戦えたくらい捏造したら良かったのにね。
清は当時最強国家のうちの1つだっけ? 清に褒められてホルホルしたニダ。って、恥ずかしくないわけ?
清に朝鮮属国軍、徴兵動員されて肉の壁にされてる話じゃん。
そして壬申倭乱以降に明を破った清自身と戦った時の鳥銃の話はどこに逝った?まだパクリできなかったのかw 韓国の史実については中国が詳しいから中国と一緒に紐解いていこうじゃないか >>83
日清戦争当時の清は世界でも列強の一つとして数えられてたはず
日露戦争当時のソ連も同じく >>44
鳥銃って日本の種子島と同様に西洋から中国に入ってきた国産銃のことだったかと
ただ日本ほど発達しなかったのは朝鮮征伐時にほとんど使ってなかった事実からも明らか そこら中糞尿だらけだから硝石採集には最適な土地かもねw >>1-3
長い。朝鮮王朝は民衆反乱やクーデター恐れて、碌に軍備を備えなかったんだから、亀船レベルの与太でないかい? 読んでないけど ロシア兵にライフルの的遊びにされてたチョン猿がどうしたって?w しかし、プーチンですら
激怒じゃなく
大爆笑しそうな記事だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています