江戸の盗賊「ねずみ小僧次郎吉(じろきち)」は日本橋堺町中村勘三郎座の木戸番の子で、建具屋の徒弟を勤め上げ、とび人足となったところでばくちを覚え、道楽が過ぎて勘当された。

1823(文政6)年から32(天保3)年にかけての足かけ10年間に武家屋敷ばかり狙って忍び込み、金銀を盗み取った。なかなか捕まらなかったが36歳の時、とうとう御用となり、市中引き回しのうえ、獄門のつゆと消えた(江口保暢著「動物と人間の歴史」)。

韓国から宮崎空港を通して金塊を密輸しようとした韓国籍の男女が関税法違反などの罪に問われた事件があった。未然に阻止したと思っていたが、この事件を指示していたグループが既に同空港で複数回、密輸を成功させていたという。

宮崎地裁で開かれた韓国籍男女の3被告のうちの1人の初公判で検察側が明らかにした。密輸関係者の間で、福岡空港は(厳重で)摘発されるといううわさが広まっていたといい、韓国から近く航空運賃も安い宮崎空港が“抜け穴”として狙われた可能性がある。

次郎吉には金持ちから盗んだ金品を貧乏人に施したという伝説があるがこれは真っ赤なうそ。草双紙の作り話で、芝居が当たったため義賊扱いされることに。三千三百両あまりの大金はすべて酒食と遊ぶ金、ばくちの元手として使った。

忍び込んだのは不用心な武家屋敷だけで戸締まり厳重な豪商宅は狙っていない。地方空港の税関も一かけらの金さえ通さぬ構えだと思い知らせてほしい。飛行機でやってくるねずみ小僧どもがほくそ笑む顔を想像するだけで胸が悪くなる。

ソース:宮崎日日新聞
http://www.the-miyanichi.co.jp/kuroshio/_35450.html