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▲26日午後、釜山東区草梁洞、鄭撥(チョンバル)将軍銅像前で開かれた「韓日日本軍慰安婦合意無効と強制徴用労働者像建設のための共同行動」集会で参加者らが模型の労働者像を日本領事館前の少女像横に移した後、記念撮影をしている。イ・ジェチャン記者

私は少女像です。明日になったら釜山(プサン)日本領事館前に位置して2年になります。手足ぴりぴりする冬ですが市民たちがまいてくれたマフラーと毛布のおかげで暖かく越冬します。心の片方は相変らず寂しいですけれど。うれしくて悲しかった一年を送りました。

年末にはうれしいニュースが聞こえたのです。屈辱的な韓日日本軍「慰安婦」合意の結果だった和解治癒財団が解散しますって。強制徴用で日本に引きずられて行って青春を捧げた人々に、日本企業が賠償せよという大法院判決も出たと言いますから、新たに「時代が変わったんだな」と感じます。

しかし、和解治癒財団は解散しても、韓日日本軍「慰安婦」合意は相変わらず生きていて、日本政府は謝罪どころか相変らず妄言を吐き出しているということです。

今年、私はここでもう一度悲しくなりました。4月30日夜、私のそばに強制徴用労働者像をたてようとする人たちを警察が防いで立ちました。2年前、私を防いで立ったようにです。一日過ごした戦いの末に労働者像は結局、私のそばにくることができず、少し離れた場所に置かれなければなりませんでした。

1カ月後、強制撤去される瞬間まで、私は彼と近づけないまま、ただ見守らなければなりませんでした。非常に悲しく恥ずかしかったです。昨日は2周年を控えて多くの人が私を見にきました。彼らのおかげでとても少しの間、また労働者像と会いました。実物ではなく「模型」でしたが、この短い出会いさえ容易ではありませんでした。数百人の警察が私たちの周辺を取り囲んで、監視していましたよ。

私たちには写真を撮るとても短い時間だけ許されました。ある青年は出てきて労働者像の前にずっとお辞儀をしていました。日帝に踏みにじられた私たちの青春にあえて哀悼の意を表わすんですって。毎週水曜日ごとに訪れる有難い青年です。

また、多くの人が私たちと一緒に写真を撮りました。短い出会いの終わりに、また、長い離別が訪れました。私はまた、独りでここを守ります。日本の謝罪を受ける時まで、いつまででも真っすぐに座ってこの席を守るでしょう。

うれしくて、また悲しかった一年が過ぎて新年が近づいてきます。南北間には平和が芽生え、私の心にも春がくるのを待ちます。

ソ・ユリ記者

ソース:釜山日報(韓国語) 日本領事館の前2年「私は少女像です」「強制徴用労働者上撤去、佗びしくて恥ずかしかったです」
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