■盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■

…「通州事件」 …

▲当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、
30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。

▲「旭軒(飲食店)では40から17〜8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出
したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。
商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き
回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
 まさになぶり殺しではないか。

▲中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を
務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。
「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙が
かけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされた
らしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。
陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。
折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。

▲帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、
闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。
女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。
階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。

▲1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて
切断され ていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置
してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」


★「通州事件 目撃者の証言」 (自由社ブックレット5)  藤岡 信勝 (著) 自由社; 初版 (2016/8/7)