>>252の続き

そもそも、“米軍慰安婦”の前には、朝鮮戦争時、“韓国軍慰安婦”が存在していた。それは、02年、立命館大学の国際シンポジウムで、
韓国の金貴玉(キムギオク)慶南大客員教授(当時)によって初めて明らかにされた。
韓国陸軍本部が56年に編纂した『後方戦史(人事篇)』のなかに、“特殊慰安隊”と呼ばれた軍慰安所の存在を裏付ける記述を見つけたのだ。
その後、金教授は『軍隊と性暴力』に収録された論文において、

〈設置時期は不明確だが、一九五一年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で膠着状態に入ってからと思われる。
閉鎖されたのは一九五四年三月である。(略)陸軍本部はまる四年近く軍「慰安所」を運営したのだ〉

とし、

〈(『後方戦史』の)実績統計表によれば、一人の「慰安婦」が一日に六回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。
また、「出動慰安」の場合、一日二〇〜三〇回の「慰安」を強要されたものと考えられる。
(略)前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる〉

要するに軍直轄の慰安所だったのだが、前線に慰安婦を送るときには1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目でトラックに積んでいたという。

もとより韓国政府や朝日新聞などは“日本軍慰安婦”の強制連行を騒ぎ立てているものの、
未だにその証拠はなんら見つかっていない。翻って、“韓国軍慰安婦”の場合はどうだったのか。

聞き取り調査の結果として、金教授は、

〈十代後半の未婚女性で、一九五一年春まで咸鏡(ハムギョン)南道永興(ヨンフン)郡に住んでいた。
ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。
(略)また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。
(略)韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえる〉

と明らかにしている。

すなわち、口を極めて日本を批判しながら、当の韓国が強制連行という罪を犯していたのだ。にもかかわらず、
韓国国内ではこれらの事実はほぼ黙殺され、『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態になっているという。