>>377
本当に何も知らんのだな。www

太極旗の由来:
1882年9月に李氏朝鮮の朴泳孝(朝鮮修信使兼特命全権大使)が壬午政変の謝罪使として訪日した時、当時の李氏朝鮮にはまだ正式の国旗がなく、朴は清の馬建忠が考案した「太極紋の周りに八卦を描いた太極図」の旗を持っていた。
朴が往路の船内でイギリス領事(アストン)とイギリス人船長(ジェームス)にこれを見せ、「国旗としての出来はどうか」と相談したところ、ジェームス船長から「八卦が複雑で区別しにくく、他国がこれを見て作るのに不便である」と助言があった。
それを受けて、朴は八卦から四卦を削って残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案を提案し、その場で今の太極旗に近い図案(四卦の種類、太極紋の形状が現在とは相違)が完成。
朴は、日本到着までにこの図案を描いた大中小の3本の旗を作った。
朴の一行は日本滞在中、この旗を泊まった宿に掲げたという。また、帰国後に本国政府に「これを国旗として使用した」ことを報告、正式な李氏朝鮮の国旗に制定された。
これが4年後に清の李鴻章が編纂した『通商章程成案彙編』に収録された際、あの「大清國属 高麗國旗」のキャプションをつけられた。
従って、
「図案の原型を清(の人間)からもらった」
のは正しいが、
「日章旗(日の丸)を元にした」
「属国の旗として清国から与えられた」
「旗自体に“大清國属 高麗國旗”と書かれていた」
というのは誤り。
歴史としては、136年ほど。