■天皇陛下の「ゆかり」発言を意図的に曲解し、日本の皇室は朝鮮半島由来と捏造する朝鮮人たち■

翌年にサッカー2002年日韓共催ワールドカップを控えた平成13年(2001年)12月23日、天皇陛下は、
68歳の誕生日に先立つ記者会見の席で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)
の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と仰せられた。

この天皇陛下のリップサービスをもって、その後韓国人どもは「日本王家のルーツは韓国の百済(346〜660年)王家」
と言いふらしている。しかし、日本の皇室のルーツが百済王族だということは絶対に有り得ない。
「ゆかり」は飽くまで「ゆかり」に過ぎない。

百済の「武寧王」も、その父の「東城王」も、朝鮮半島で生まれたのではなく、日本(九州)で生まれて
日本から朝鮮半島に渡って行った人物だ。
更に、日本から朝鮮半島に渡って行った「武寧王」の子「純陀太子」は、日本に人質として来て、その子孫は
そのまま日本に住み着いた。
4世紀頃(391年、倭が、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった「広開土王碑」)から
7世紀(白村江の戦い)まで、朝鮮半島は九州などと同様に日本(倭国)の一部だったという時代背景を忘れてはならない。

つまり、百済というのは昔から日本(倭国)の一地方であり、百済王は、天皇によって決められ、日本(九州など)
生れの「東城王(末多王)」や「武寧王」などが日本(九州など)から朝鮮半島に渡って行って即位していた。
日本に戻って来た武寧王の子「純陀太子」以下の子孫は、そのままずっと日本に住み着いた。
父「武寧王」(日本人)の祖国「日本」に戻った「純陀太子」から数えて9世(9代目)の子孫の一人が和乙継で、
10世(10代目)が桓武天皇の生母となった高野新笠だ。

はっきり言って、皇室と韓国とのゆかりは無いに等しい。つまり、天皇陛下の祖先に朝鮮半島の血筋は入っていない

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