朝鮮半島で実質的に奴隷制度が廃止されたのは、日韓併合の前年1909年である。
この年に韓国統監府は戸籍制度を導入することで、人間とは見なされていなかった姓を待たない
賤民階層にも姓を許可した。
これにより、彼らの子供たちは学校に通えるようになり、

身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、
身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。
1980年にソウルで発行された本には「奴婢の制度は支配階級のひどい虐待のもとで、
ごく最近まで続いた。1920年代においても朝鮮の家庭ではほとんど例外なく、
聴直・床奴・上直・住込み女中などという奴婢を置いていた。」


文禄・慶長の役の際には、奴婢が反乱を起こして役所に火を放ち戸籍を燃やしてしまい、
それによって賤民を脱した者もいた。また、戦費を獲得するために一定の額を支払った
奴婢は良民になれるようにされたため、以後、身分制度は混乱して、
ある地方では37%居た奴婢が2%まで減少し、代わりに人口の9%に過ぎなかった両班が70%を
占めるという状況も起きた。