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http://www.readersnews.com/news/photo/201909/95434_59703_260.jpg

(読書新聞=ソン・ソクジュ記者)嫌悪とは、『嫌って憎む』を意味する単語だ。類義語では『憎しみ』や『憎悪』などがある。ここ数年前から韓国社会は、憎悪と嫌悪に満ちた世界のように見える。国民生活を度外視して、左右に分かれて理念闘争にだけ没頭する政界はまさに嫌悪の温床である。これ以外にも、人々は日常生活の中で意識的に(あるいは無意識のうちに)に自分とは異なるという理由で誰かを嫌悪する。

嫌悪の直接的な矢はまさに『言葉』である。寸鉄殺人という四字熟語からも分かるように、言葉は千両の借金を返させるほど誰かを感動させるが、逆に誰かの弱点を突き、ひどい場合には死にまで至らせる。特に少数者に向けた嫌悪表現は社会の人権感受性を下げ、混乱と対立を増幅させる原因の一つである。

最近、嫌悪表現が社会的少数者への暴力を深刻化させるため、法律で禁止しなければならないという主張と、嫌悪表現を法律で禁止することは表現の自由に対する抑圧のため、許可してはならないという主張が激しく対立している。それでは嫌悪表現とは何か、一体なぜ発生するのだろうか。

大衆文化評論家のキム・ファンぴょ氏によれば、嫌悪表現(hate speech)は『特定の人種や国籍、宗教、性別などを基準に、他の人々に対する憎悪を扇動する発言』を称する。2013年に在特会(在日特権を許さない市民の会)を筆頭にした日本の極右勢力が、在日韓国人を対象に嫌悪表現を恣行【韓国】「ヘイト」がいっぱい・・・傷だらけの大韓民国[09/29]
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http://www.readersnews.com/news/photo/201909/95434_59703_260.jpg

(読書新聞=ソン・ソクジュ記者)嫌悪とは、『嫌って憎む』を意味する単語だ。類義語では『憎しみ』や『憎悪』などがある。ここ数年前から韓国社会は、憎悪と嫌悪に満ちた世界のように見える。国民生活を度外視して、左右に分かれて理念闘争にだけ没頭する政界はまさに嫌悪の温床である。これ以外にも、人々は日常生活の中で意識的に(あるいは無意識のうちに)に自分とは異なるという理由で誰かを嫌悪する。

嫌悪の直接的な矢はまさに『言葉』である。寸鉄殺人という四字熟語からも分かるように、言葉は千両の借金を返させるほど誰かを感動させるが、逆に誰かの弱点を突き、ひどい場合には死にまで至らせる。特に少数者に向けた嫌悪表現は社会の人権感受性を下げ、混乱と対立を増幅させる原因の一つである。

最近、嫌悪表現が社会的少数者への暴力を深刻化させるため、法律で禁止しなければならないという主張と、嫌悪表現を法律で禁止することは表現の自由に対する抑圧のため、許可してはならないという主張が激しく対立している。それでは嫌悪表現とは何か、一体なぜ発生するのだろうか。

大衆文化評論家のキム・ファンぴょ氏によれば、嫌悪表現(hate speech)は『特定の人種や国籍、宗教、性別などを基準に、他の人々に対する憎悪を扇動する発言』を称する。2013年、在特会(在日特権を許さない市民の会)を筆頭にした日本の極右勢力が在日韓国人を対象に嫌悪表現を恣行して、韓国にもこの言葉が広く知れ渡った。

嫌悪表現は日常で頻繁に使われる。たとえば『女々しく拗ねやがって(意訳)』という表現は、女は基本的によく怒り、事あるごとに心が頻繁に拗ねる人ということを前提とする。この他、『マムチュン(母虫=子どもを過保護にしながらも、まともな躾をしない母親を呼ぶ蔑称)』、『ハンナムチュン(韓男虫=韓国男性はまさに虫)など、女性と男性がお互いを嫌悪する表現は数えきれないほど多い。

特に障礙人(障がい者)、性的少数者への嫌悪表現は、無意識のうちに恣行されるという点で一層深刻である。たとえばピョンシン(病身)は辞書的には身体障がい者を意味する言葉だが、抜けた行動をしたり他人を理由もなく蔑視する時に使う代表的な悪口であり、障がい者への嫌悪表現である。また、『ゲイのようだ』という言葉は綺麗な男性を卑しめ、これをする際に使う異性愛中心主義的な表現だが、男性同性愛者を嫌悪する表現なので使ってはならない。

ソース:読書新聞(韓国語)
http://www.readersnews.com/news/articleView.html?idxno=95434

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