竹島密約も韓国のせいで破れたし、もはや配慮する必要は無いな 事実の流布はした方が良い

竹島密約
 日韓首脳は「(竹島/独島という)島が国交正常化の妨げになってはいけない」との認識で一致する。そして、この案件の解決を「棚上げ」することで日韓は密約を結んだ。当時の様子を前掲の『竹島密約』から以下、引用する。
 河野一郎の密使役である宇野宗佑(そうすけ)、国務総理で日韓交渉の責任者である丁一権(ジヨンイルクオン)らが、密約会談にのぞんだ。なお、密約が交わされたのは1965(昭和40)年1月のソウルである。
河野が用意したA4の紙4〜5枚のうち、竹島に関する内容は、一つの大原則とイロハニからなる4つの条項が付属していた。
 竹島・独島問題は、解決せざるを持って、解決したと見なす。したがって、条約では触れない。

(イ) 両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。

(ロ) しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。

(ハ) 韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

(ニ) この合意は以後も引き継いでいく。