「朝鮮開化史(恒屋益服著 博文館 明治34年)」

 明から清に主人を替えた後の朝鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に馳せ参じ、2回
の羅禅(ロシア)遠征と明の征伐に従軍した。父として明を敬っていたはずなのに新しい父
を迎えた途端、明に対して残酷無情な態度を取った。3回にわたる明征伐では朝鮮軍は満州
人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友
のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。しかし、朝鮮軍が満州人の軍門
に降り清軍に召集されると、今度は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐
殺と略奪を行ったのだ。清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記
録には次のようなものがある。「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝、
朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
 明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝鮮は宗主国である明から国号を下賜された。しか
し、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、明人を
虐殺した。日韓合邦後、満州でもっとも暴れたのは朝鮮人である。万宝山事件は、朝鮮
人と中国人の水をめぐる争いから起こり、朝鮮半島における中国人虐殺にまで発展し
た。満州では、朝鮮人は「二鬼子」として中国人から恐れられ嫌われていた。