【資料】「間島出兵(1919年秋)の真実」


当時の間島の状況

 朝鮮王朝末期より間島には多くの朝鮮移民が移住しており、以前からその北部朝鮮の縁戚
より保護を求める声は盛んに上がっていた。というのも張作霖軍閥は支那(漢民族)色が強
く、馬賊を取り締まらないばかりでなく、支那人の移住朝鮮人への迫害を放置していたから
である。
 このため、朝鮮移民は自警団のようなものを結成したのだが、これが匪賊化して問題と
なっていた。
 そもそも間島地区に住む朝鮮移民の法的地位そのものが微妙だったのである。
 彼らは日本臣民とみなされて日中間の条約によって治外法権が認められていたが、それゆ
えに日本側は領事裁判の為に領事館を設け、その行動に責任を持たねばならなくなった。と
ころが中国人(現在、この地区の人口比率は70:30で朝鮮系が多数)に対して特権階級
を形成するに至っていた彼らの中から中国官憲に取締られないのをいい事に一村単位やグ
ループ単位で強盗団を組み、朝鮮領内や満州で活発な非法活動に従事する者が現れてきた。
そうした情勢につけ込んで旧式儒者を中心した政治的アクティブが紛れ込んできて反日パ
ンフレットなどを配布して彼らを魅了する様になり朝鮮総督府を悩ませていたが、実は反
日活動に従事するまでもなく中国人の反日感情を煽りまくる彼らの様な存在は既に(朝鮮
地区をも含む)大日本帝国全体にとって目の上のタンコブだったのである。