無謀で残酷な「出血作戦」に突き当たった米国は、ソ連に参戦を求めるとともに、原爆の開発を急いだ。原爆が製造されると、戦争を早く終わらせようと人口数十万の都市に二度もそれを投下した。新兵器の威力を誇示し、戦後の覇権を固めるという目的もあった。ソ連は侵攻の日を繰り上げて、日本占領の分け前を確保しようとした。天皇制を守ろうとして降伏を遅らせた日本と、東アジアの秩序を自らに有利にしようとした大国の戦略のせいで、数百万人が犠牲となり、民族の運命が分かれた。

 日本の降伏の知らせを聞いて、独立運動家の金九(キム・グ)はその時期の巧妙さを嘆いた。中国で長年にわたる国共内戦を経験し、国際政治の冷酷さを見守ってきた亡命政府の主席は「解放」を素直には喜べなかった。解放とともにやってきた分断はすでに75年、南北対立と戦争の恐怖はいまだにこの地を押さえ付けている。分断の痛みを乗り越え、我々は金九があれほど願っていた「文化の力」を築き上げた。国際情勢は再びこの地を米中超大国の衝突の最前線へと押し上げている。自主外交の知恵を集めるべき時である。
チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )