◆バブルが崩壊し、43歳で無収入に

「直後に仙台国税局に入られたの。とりあえず『なんで来たんですか?』って聞いたわけ。そしたら『お宅が東北で一番(儲かっている)。だから一番先に来た』って。あの時代にコンパニオン業で年商3億越えなんてなかったの。他はみんな何千万レベルだったわけ。

 これまで自分の好き勝手に仕事して遊んでの繰り返しだったでしょ。税金に無頓着で、節税なんて考えもしなかった。入られて初めてわかったよ、税務署って怖いんだなって」

 税金に無頓着だった代わりに、脱税という悪事を働く頭もない。幸い、追徴課税は800万ほどで済んだ。

 が、同時に思いもしない未曾有の経済危機が訪れたことが運の尽きだった。

「その頃ちょうど“バブル”が弾けた。実は競合他社とコンパニオンの組合を作り、私はその会長でした。飲食店組合や理容組合と同じで県に認定された組合です。認知されるには『組合を作った方がいい』と取引先の旅館のオーナーさんに言われ、先々を読んでのことだったのに、会長という立場上、他社から仕事を奪うような新規開拓の営業が出来ずに身動きが取れなくなってしまったんです」

 伊藤は悩んだ。バブル崩壊で売り上げは下がっている。その打開策であるはずの新規営業もままならない。

 もちろん、いまのままでも十分、暮らしてはいける。惰性で続けて状況の変化を待つのもアリなのか。

 そして伊藤は腹を括る。

「最終的には将来性がないと判断しました。それにもうやりたくなかった。あくまで下請けだから、連日、旅館ホテルに頭下げっぱなし。やれオンナが来ない、やれ人数が足りないとクレームの嵐。ずっと溜まって膨らみ続けていた怒りの風船が、バブルと同時に割れちゃったの」

 伊藤は年商3億円のコンパニオン事業を後進に譲り、自分は無収入になる道を選んだ。忘れもしないバブル崩壊直後の1993年、43歳の時だった。

(続く)