◆「ピンサロじゃなく福島初の韓国エステをやれ」

 伊藤が風俗の道に入るのは、その3年後。当時の妻にも捨てられ、郡山から出るしかなくなり、コンパニオンの派遣業時代に知り合った福島市内のピンサロ『キャンパス7』の社長を訪ねたのがきっかけだ。

 ピンサロはおろかフーゾクですら遊んだことがなかった伊藤だが、過去にコンパニオンの派遣業でボロ儲けした経験から、地方の店舗型風俗店などたかがしれていると考えていた。

「ところが30席ほどある店内は満席で、さらにあぶれた客が雑居ビルの階段の踊り場まで並んでいたんだよね。聞けば1日の売り上げが180万。こっちは200人の女のコを回して繁忙期でも1日200万でしょ。それが毎日毎日続いてるっていうんだから。

 そのとき、驚いたのと同時に、なぜか私もできるなって勝手に思っちゃった。なにせ女のコの扱いだけは自信があった。100人の女性部員を束ねていた時代からずっとやってきたわけだから」

 もちろんオンナを集めるルートなどない。あるのは妙な自信だけだった。

「すると社長が、『ピンサロじゃなく福島初の韓国エステをやれ』って言うの。エステといってももちろん、マッサージだけでなく手で射精を補助する手コキ・サービス付きの店舗型風俗店。それを韓国人女性でやるんだ、と」

 ワケも分からず見切り発車し、福島市周囲にある飲食店や自衛隊駐屯地にオープンを知らせるチラシ持参で挨拶に回り、繁華街の至るところにステカン(捨て看板)を建てた。

 資金の500万は社長がポンと出してくれた。これをタネ銭に福島駅からほど近い古びたマンションの一室に間仕切りして、5部屋を用意。程なく集まった韓国人女性5人は、社長の知り合いヅテで福島中から引っ張った。

 下準備のおかげか、毎日50人以上の客が押し寄せる。システムは60分1万円で、半分は店の実入りになるが、社長から借りた500万を返済するまで給与はギリギリ生活できるだけだった。寝床は店の隣に借りたもう一部屋でエステ嬢たちと雑魚寝。この生活を続けながらカネを貯め、1年後には独立する、ハズだった。

「伊藤さん、そろそろヤメようか」

 思いもかけぬ社長の言葉で3ヶ月後、店を急遽畳むことになった。

「このまま続けたらパクられるかもしれない。こういう店は、パッと稼いでパッと逃げるのが正解だから」

「捕まってもいいや、くらいの気持ちがあった」

 社長は、警察の内偵を鑑みると3ヶ月がリミットだと説明した。

「いま考えれば名義人、単なるパクられ要員だった。違法ですからね、無許可で営業しているのにヌキがあるんだから。当時の私はそれが分からなくて、毎日飯代くらいしか貰えていなかったところ、やっと3ヶ月目からマトモな給与を取れる段取りをしていた矢先の出来事だったから。もちろん社長は身を案じてくれてのことなんだろうけど、私としては捕まってもいいや、くらいの気持ちがあったから、それはもう悔しくて、悔しくて」

 この一件で、伊藤は意気消沈して社長の元を去り、福島市から郡山に戻ることになった。

(文中敬称略、 後編 に続く)

「面接した女のコは6000人、うち800人は…」筆者も驚いた“郡山の風俗王”が生み出した革新的サービスとは? へ続く

(終わり)