来日して戦後補償や慰安婦関係の集会に参加したドイツ人運動家もドイツの実態を知らない者が多く「ドイツの謝罪や補償を見習え」式のアピールを説いた人が少なくないが、
モニカ・ビンゲン女史の様に日本でドイツ軍の慰安婦の実態を教えられ、「帰って補償問題に取り組む」決意を表明(九二年九月七日付朝日新聞)した者の例もある。
彼女が知った慰安婦文献とは、ドイツ連邦軍大学教授の職にあるザイラーが書いた戦時衛生をテーマとする地味な学術書『売春・同性愛、自己毀損―ドイツ衛生指導の諸問題一九三九−四五』という題名の本を指す。
次にその要点を紹介する。
目標
性病対策、秘密洩れの防止、レイプによる混_血の防止など。
戦時の売春統制
一九三九年九月九日ドイツ内相は、国防軍軍人の健康を守るため、街娼を禁じ、売春宿はすべて警察の管理下におき、衛生上の監督を受けるよう指令を発した。
四〇年七月、ブラウヒッナュ陸軍総司令官は、フランス、オランダなど西方占領地のドイツ占領軍に対し性病予防のためドイツ軍人の利用に適切な売春宿を指定し、それ以外の利用を禁じる命令を出したが、
ポーランド、独ソ開戦後のソ連などの東方占領地にも同様の措置がとられた。海軍も軍港に軍管理の慰安所を置いた。国防軍慰安所の設置ドイツ本国では、特に軍専用の慰安所は設置されなかった。
国防軍慰安所と親衛隊(SS)用の慰安所は占領地に開設され、地区司令官の監督下で、前線の中隊長が軍医と協力して運営に当った。
入場料は二−三マルク、高級慰安所は五マルクで、兵士が民間の売春宿に流れぬよう安価に抑えられた。全占領地における慰安所は五〇〇か所以上(一九四二年)。