中国共産党の歴史は、人民にとっては災難の連続だった。むろん、それは単なる自然災害ではない。共産党による何千万という同胞殺害と、
誤った政策による何千万という悲惨な人災の連続だったのである。
 まず一九四八年から五五年という初期の段階―。元公安相の羅瑞卿によれば、革命の敵として処刑された中国人の数は四〇〇万に上るという。
これはまだ毛沢東が博愛的だったといわれる時代だ。
 五七年の反右派闘争の時には、五〇万を超える愛国者が右派分子として当局から弾劾され、そのうち数万人が労働収容所で死んだとされる。
そして、五八年には有名な大躍進が始まるが、この時の犠牲者は諸説あるものの、恐らく三〇〇〇万人は下らないという。
それだけではない。その後にやってきたのはあの文化大革命だが、ここでも少なく見積もっても二〇〇〇万人の中国人が殺されたとするのが研究者の定説である。
 むろん、こんな数字は中国人自身が知らない数字である。あの天安門事件もそうだが、彼らは未だにその真相を知らされず、それを正当に知り、批判する自由すら与えられていない。
もし彼らに、いつの日か歴史研究の自由が与えられたとするなら、果たしてその結果はどのようになるか。クリストフはそう問いつつ書いている。
 《問題は、中国の歴史家が押し入れを開く度、人の骸骨(犠牲者たち)が転げ出てくることなのだ。いつの日にかすべての押し入れが音を立てて開かれた時、
共産党の神話は崩壊し、社会は大きなショックに直面するだろう》(同書)