朝鮮通信使の接待費で一度に100万両かかって、西国大名の負担が大きく、費用徴収に反対する一揆が起きていたらしい
実際淀川を遡る専用の船の建造など、莫大な費用がかかったとか

江戸時代も半ばになると、中国が日本に対して動く心配も無く、朝鮮の国力や通信使の質もたいしたことが無いことがわかり、金ばかりかかるから、幕府も接待藩もいい迷惑だと思っていたのでは
町民は見世物として喜んだくらいだろ