いわゆる楢山節考はフィクション。
当時の日本(そして朝鮮も)の観念からしてあり得ない話。

あったところで、それが極めて異例だったからこそ記録に残ったのであって、当時の一般的な風習だと考えるのは錯覚もいいところ。

ちなみに棄老伝説は平安時代以来の仏教説話集にときおり見られるが、仏の霊験を強調するための舞台装置となっている例がほとんど。