◇モンゴル力士の人気の秘密◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長
高麗とモンゴル(元)の支配、抵抗などを興味深く描いたのが井上靖の名作『風濤』だが、モンゴルは高麗王にモンゴルの姫を押し付け、さらに高麗の女性を貢物として多数連れていった。モンゴルによる高麗支配は百年近く続いた。
 その結果、モンゴル文化の名残は今も韓国人の風俗にあって、たとえば結婚式の時の新婦が顔に塗る丸い紅の「ヨンジ」や、最近、復活して目につくチマチョゴリの際の女性の「チョックトゥリ」、護身用の装飾品「粧刀」などそうだという。
テレビの時代劇などによく登場し、最近も大ヒットの宮廷料理ドラマ「大長今(テジャングム)」でしばしば耳にする王様の食事を意味する「スラ(水刺)」も、もともとはモンゴル語という。
逆にモンゴルには「高麗マンドゥ」や「高麗モチ」が残っているとか。
★英国学者、キムチの起源は日本の九州
 英国人の東洋史学者ホールデン教授(日本・中国の歴史専攻)の研究の結果、キムチのルーツは日本だと分かった。
この英国人学者の研究によると、キムチに不可欠の唐辛子は、15世紀 にポルトガルから南蛮貿易で日本の長崎にもたらされた。
その後、九州で栽培に成功し薬剤として普及していく。
唐辛子を白菜と漬け込んだ食品が(元祖キムチ)が、九州の漁師達の保存食として用いられるようになった。
漁師や漁民たちの持病である脚気の防止に大変効能があったためだ。
16世紀後期になり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本水軍の九州兵が、保存食・滋養食として携行した。
この戦争において、日本水軍兵の食する元祖キムチが朝鮮兵と朝鮮民衆に伝わり、その保存性・滋養が注目され、戦闘食として朝鮮軍にも食されるようになった。
「こうしてキムチは、日本から朝鮮に伝わった」と、この英国人東洋学者は語る。
この英国人学者は、この研究結果を近く、ロンドンの出版社より図書として刊行する予定といい、日本や米国でも出版する考えだという。