『日本書紀』では、武烈天皇の異常な行為を多く記している。その部分を以下に列挙する。

二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す(妊婦の腹を裂いてその胎児を見た)。
三年の冬十月に、人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう(人の爪を抜いて、芋を掘らせた)。
四年の夏四月に、人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、樹の本を切り倒し、昇れる者を落死すことを快としたまふ(人の髪を抜いて木登りをさせ、木の根元を切り倒し、登らせた者を落として殺して面白がった)。
五年の夏六月に、人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ(人を池の樋に入らせ、そこから流れ出る人を三つ刃の矛で刺し殺して喜んだ)。
六年の冬十月に、百済国、麻那君を遣わして調を進る。天皇、百済の年を歴りて貢職を不脩為を以ちて、留めて放たず(百済国は麻那君(まなきし)を遣わして貢物をした。天皇は百済が長い間貢物をしてなかったと責め、抑留した)。
七年の春二月に、人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ(人を木に登らせて、弓で射落として笑った)。
八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。(女を裸にして平板の上に座らせ、馬を引き出して、面前で交尾を見させた。女たちの性器を調べ、潤っているもの(すなわち愛液が分泌されている者)は殺し、潤っていない者は、奴隷として召し上げた。これが楽しみであった)。

武烈ちゃんは実在したんだろうな
ジャップの陰湿な残虐性そのままだし