ある日、与謝野が安倍を連れてきた
氏家が思い起こす。

「たしかに四季の会は与謝野さんを囲む会として葛西さんが中心となって立ちあげました。葛西さんと与謝野さんは東大法学部の同窓で、与謝野さんは大学で野球をしていたとか。
私にとっても与謝野さんは麻布中学、高校の先輩でした。学生時代から知っていたわけではないけど、金融界に麻布出身者が多く、その関係から私も与謝野さんと知り合いました。
四季の会では、最初は与謝野さんが真ん中に座ってワイワイやっていました。春夏秋冬それぞれにおこなっていたわけではなく、会合の回数はもっと少なかった。会合は新橋の金田中(かねたなか)が多かったように感じます。そんなあるとき与謝野さんが、『若くて将来有望な政治家だ』と官房副長官の安倍さんを連れてこられたのです」

「中国のリニアは類人猿がつくっている」
安倍自身は第二次森喜朗内閣と第一次小泉純一郎内閣の2000年7月から03年9月にかけて官房副長官を拝命している。小泉訪朝の拉致被害者奪還で名を挙げたのは、知られたところだ。
安倍はそのあと自民党幹事長になり、第三次小泉改造内閣の05年10月から06年9月まで官房長官を務め、小泉政権の後継者として首相に就任する。四季の会へのデビューはこの間の出来事である。
氏家が古い写真を持ち出し、回想する。
「これは葛西さんと仲よくなってリニア見学に連れて行ってもらったときの写真です。日付を見ると、2004年5月27日。JR東海の社長だった松本(正之現特別顧問)さんもいっしょでした。葛西さんがリニアのことを一生懸命説明してくれましてね。中国の上海にもリニアがあるでしょ。それについて、『こっちは人類がつくっているけど、あんなものは類人猿がつくっているようなもんだ』と散々でしたね」
最前列左が葛西、最前列右が氏家
これもまた中国嫌いの葛西らしい言い回しだ。

「安倍を総理にするぞ」
すでにこの頃、四季の会は与謝野の意向もあり、安倍を首相にするためにバックアップする財界人の集まりとなっていた。
第一次政権の発足する直前、氏家は葛西が音頭を取って創設した学校法人「海陽学園」の評議員にもなった。氏家の言葉に熱がこもる。
「海陽学園は葛西さんの教育に対する思いに豊田(章一郎)さんや太田(宏次・中部電力元会長)さんたちが賛同して始まったのだと思います。愛国教育というより、選ばれたんだからしっかり責任持って生きろ、というリーダー教育でしょうか。
全寮制で文武両道、帝王学的な教えの雰囲気がありました。海の船着き場の近くに学校があって船に乗せたりする。私はJR東海やトヨタ、中部電力といった東海地方の財界との会社同士の付き合いで海陽学園とかかわってきたのですけど、ボーイズオンリーの中高一貫教育に対する葛西さんの熱意はすごくて、納得いきました」
海陽学園は06年4月、愛知県蒲郡市に開校され、初代理事長にトヨタ自動車会長の豊田章一郎が就任し、のちに葛西が理事長を引き継いだ。
この海陽学園もまた、第一次安倍政権の樹立に尽力した。

四季の会による「NHK支配」
安倍政権を生んだ四季の会の中核メンバーには、錚々たる顔ぶれがそろっている。葛西とともに会を切り盛りしてきた富士フイルムの古森をはじめ、葛西と旧知の財界人が数多く集った。東京都立西高等学校、東大法学部の葛西の先輩でJFEホールディングスの下垣内(しもがいち)洋一もまた、四季の会の発足当初から参加してきた中心メンバーだ。日本鋼管と川崎製鉄の合併の立て役者としてJFE初代社長に就いた下垣内は、後任社長の數土(すど)文夫をのちに四季の会に加えた。
葛西を中心とする四季の会は、日本の公共放送にも深くかかわってきた。年間7000億円に上る受信料収入をもとにしたNHKの放送事業予算は国会承認が必要とされ、自民党の郵政・放送族議員たちの協力が欠かせない。
そのためNHKの政治部記者が郵政族議員たちとのパイプ役を担ってきた。おかげで歴代の経営トップには政治記者が就くようになり、局内では政治部が幅を利かせた。古くは池田勇人の番記者だった島桂次が有名だ。シマゲジとあだ名された島の流れを汲み、元自民党副総裁の川島正次郎や元首相佐藤栄作と懇意だった海老沢勝二もまた、大きな権勢を振るった。あだ名はエビジョンイルだ。皮肉にも葛西や安倍は、この海老沢失墜を機にNHKに口を出すようになり、四季の会の財界人がそれをバックアップしていった。

森 功ジャーナリスト 2023.01.12
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