「朝鮮」という呼称に潜む歴史的真実…決して「朝陽の鮮やかなるところ」ではなかった
民族と文明で読み解く東アジアの成立ち
宇山 卓栄

「朝鮮人」は差別語ではない

朝鮮人自身、歴史的に「朝鮮」の呼称を誇りにしていたようです。李氏王朝は「朝鮮」を「朝陽の鮮やかなるところ」、
つまり「東方の地域」という意味で解釈していました。
ヨーロッパ人は東方の中東地域を「オリエント(日が昇る方)」と呼びましたが、これとよく似ています。

「朝鮮」を最初に言いはじめたのは中国人で、彼らは実は「朝鮮」を「朝陽の鮮やかなるところ」という意味で用いたのではありません。

楽浪郡付近を流れる川(どの川か不明だが、大同江の可能性あり)は「湿水」、「汕水」、或いは「潮汕」と呼ばれており、
これらの川の読み音が「朝鮮」に転じたとされます。
「朝陽の鮮やかなるところ」というのは朝鮮人が勝手にそのように解釈したに過ぎないのです。

植民地にするほどの価値はなかった

衛氏朝鮮は紀元前108年、前漢の武帝によって滅ぼされます。これにより、朝鮮半島の大部分が
中国王朝の支配下に入ることになります。武帝は征服した地を4つに分け、楽浪郡などの漢四郡を設置し、
朝鮮を中国の一部に組み込みます。これが中国王朝の朝鮮支配のはじまりとなります。

この時代、朝鮮は中国の辺境の果ての地で、人口も少なく、貧弱な生産力しかありませんでした。
前漢がこのような荒涼とした地域を敢えて予算を投じて、統治する必要などなかったでしょう。

楽浪郡などの漢四郡が置かれ、それらが統治機能というよりはむしろ、偵察機能を働かせ、
辺境の情勢を中央にもたらしていたと考えられます。
当時の朝鮮は前漢にとって、植民地にするほどの価値もなかったというのが実情でしょう。