「いざ自分が害虫と名指しされると、堪えるものがある」。それでも『在日韓国人になる』の著者は、戦後の在日史を振り返りつつ、冷静に客観的に、日本の未来を見る
https://news.yahoo.co.jp/articles/15c42519d3bee360c47915bcc66dcc40ca003f53/images/001

ー中略ー

 民族マイノリティ(少数派)として生きるのも、楽ではない。
 下等とされる動物、癌、病原菌。排除の隠喩(「あいつは......だから排除すべし」)......嫌悪する相手に世間で忌避されているものの名を冠することは、古今東西ありふれている。ゴキブリのたとえすら日本の排外主義者の専売特許ではない。戦のさなか相手を「非人間化」して動物とみなし、殺しやすくすることは常とう手段である。
 そう、ゴキブリと呼ばれるなんてありふれたこと。ただでさえ戦後の在日は、バリエーション豊富な侮蔑語をあびてきたではないか。
 わかっている。頭ではそうわかっている。でも、いざ自分が害虫と名指しされてみると、さすがに堪えるものがある。(17ページより)
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著者は在日コリアン3世として東京都江戸川区に生まれ、現在は都内の中高一貫校で歴史や国際政治学を教えている人物。本書においては日本における在日の歴史をなぞり、多文化共生、社会の統合、さらには日本人の再定義についての考えを明らかにしている。

しかし同時に、すべての差別感情の矛盾点を指摘し、だがそれらを無闇に否定するのではなく、あくまで冷静に前を向こうという意志が随所に見られる。

排外主義者は承認欲求を満たすために他者を糾弾したがる

 在日の立場は、永住権を取りたくてもとれない外国人からすればきっと恵まれている。東アジアの一員として、容姿の面でも日本人とよく似ている。「ゴキブリ」と呼ばれようが、たとえ不本意にせよ社会でかくれんぼをしながら生きることだってできる。それすらできない外国人はたくさんいる。だとすれば在日は、どれだけ鼻につこうが、どれだけ後ろめたかろうが、「恵まれた者の責務(ノブレスオブリージュ)」を負っていい。(20ページより)
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いまの時代、性的マイノリティや社会的弱者は排外主義者にとってうってつけのターゲットだ。著者のことばを借りるなら、差別や排除は、民族やカテゴリーの境界などおかまいなし。排外主義者たちは、自身の承認欲求を満たすために他者を糾弾したがるのかもしれない。

そして、外国人労働者と彼らを受け入れる日本社会との間に立っているのが在日だ。複数の文化の交差点にいる「境界人(マージナルマン)」であり、日本人からは"身近なよそ者"として扱われることもある。だからこそ、冒頭で触れたミュージシャンの苦悩のようなものが生まれるのだろう。
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 いずれにせよ、この国が排外主義のうずに呑まれ死者が出るような未来は、まちがいなく失楽園(ディストピア)だ。境界人はうかうかしていられない。そこで、古くからの移民である在日がどう統合されてきたかをふりかえることは、日本のきらめく未来へのヒントを与えてくれるのではないかと思う。(21ページより)
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戦後の在日史は大まかに「排除の時代(1945年~70年代)」「統合の時代(70年代~90年代)」「再排除の時代(2000年代~)」に分けられるという。私が過去に学んできたことや個人的な記憶をなぞってみても、それは納得できる話だ。

ともあれ本書ではこれらの各時代を振り返り、最終的には歴史と未来に関わる問題について言及しているのである。

ー後略ー

【印南敦史(作家、書評家)】

以下全文ソースから

1/30(月) 6:50配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/15c42519d3bee360c47915bcc66dcc40ca003f53?page=1