【Money1】 「朝鮮で男色が流行」という話 [3/19] [仮面ウニダー★]
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日曜日ですので、読み物的な記事を一つ。
先にご紹介した、本間九介さんの『朝鮮雑記』から李氏朝鮮時代の挿話をご紹介します。
先にご紹介したとおり、本間九介さんの『朝鮮雑記』は、日本併合前の1894年に李氏朝鮮を旅して書かれた著作です。
もともとは『二六新報』という新聞(現在でいうタブロイド紙)に連載されたものですが、連載終了後すぐに書籍化されました。
1897年には李氏朝鮮は国号が大韓帝国と変わり、1910年に日本併合となりますので、1894年は李氏朝鮮の最末期とです。
本間九介さんの『朝鮮雑記』は李氏朝鮮最末期の習俗を現在に伝える貴重な内容です。
現在の目から見るといかがなものか、という点もありますが、「当時はこのようだったのか」と驚かされることばかりです。中に以下のような挿話があるのです。
男色
八道はちどう(朝鮮全土)、いきおいよく、いたるところ、男色が流行しない場所はない。
京城けいじょう(ソウル)にいたっては、良家りょうかの子供たちといっても、美しい服をつけて市街を横行し、公然と、その尻を売る。
しかし、あっけらかんとして恥じる様子はない。
韓語かんごではこれを「ビョーク、チャンサ」と称する。
つまり、男色商という意味である。とくに、股肉を指して、「ビョーク、サル」と呼ぶのは、あまりにもひどすぎるというべきだろう。「サル」とは、すなわち肉の意味である。
(後略)
⇒参照・引用元:『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』著:本間九介,クリストファー・W・A・スピルマン監修・解説,平成28年02月05日初版第1刷発行,祥伝社,p85
※ルビは原文ママ/強調文字、赤アンダーラインなどは引用者による
男性を愛する男性がいても別に不思議ではありませんし、日本でも江戸時代には男娼がいました。
江戸時代に日本を訪問した朝鮮通信使・申維翰さんは、著書『海游録』で「男娼の色気は時に女性を上回る」と述べているほどです。
そもそも日本では、男色は古来よりあって、決してマイノリティーではありませんでした。
マイノリティーとなり、異端視されるようになったのは、西洋文明が浸透してキリスト教が一般的になった大正時代以降のことです。
戦国時代に日本を訪れた宣教師フランシスコ・ザビエルは、「一神教、一夫一妻制、男色の罪」を日本人に説明し納得してもらうことがいかに難しいか――を本国へ送った手紙の中で嘆いているぐらいです。
流行していた、という点は驚きですが、李氏朝鮮でも男娼は普通にいたということでしょう。
気になるのは、このような習俗がいつ、どのような理由で衰退していったかです。朝鮮時代、また現在の韓国につながるセクシュアリティーの変化というのは研究しがいのあるテーマかもしれません。
(吉田ハンチング@dcp)
2023.03.19
https://money1.jp/archives/101957 >>107
三成「脳筋が従わねえから箔付けに城攻めに志願したらクソ立地で士気バク揚げのアホみたいな城だった」 >>78
スケキヨ丼の朝鮮日報の大元記事すら既に削除されてるのにネット検索で当時のソースが出てくるわけねーじゃんアホか KPOP歌手が女みたいな化粧するのはこういうこと? >>78
チョーセン人ならいかにもやりそうだ、って思われてることに変りは無いよね 韓国軍では勤務時間外では
ジングルベルは合法と
韓国最高裁で認められた サル痘って…
>>20
小さく進化するほど盛んだったと? 男色はなら日本のほうが遥かに進んでて一歩もひかんわ
クソ腸線なんかに男色の本当の良さなんか全くわからんだろうからな
かわいそうな奴らだ 兵役に行けば全員開発済みニダよwww
在日くんも早く来るニダwww >>123
まぁ金が全ての朝鮮人だから
別に男が好きとかケツ穴セックスが好きとかってより
金さえ貰えれば何でもいいだけだろうからな >>123
さすがに朝鮮以外でこれはない
>良家りょうかの子供たちといっても、美しい服をつけて市街を横行し、公然と、その尻を売る。
>しかし、あっけらかんとして恥じる様子はない。 >>126
食うに困ってやってた訳でもなさそうだし、する事自体が喜びだったんだろ LGBT、取り分けオトコに関しては
韓国は先進国だ 日本でも生活苦の男が増えているので男色流行の兆しがある 日本って東海道中膝栗毛みたいなバイセクシャルな方向で性に関しては昔からオープンだからな
むしろ秀吉がヘテロで珍しかった 原爆少年団という世界一人気のホモグループもいたよなw さすがウニ科、人類の理性が無く本能のまま生きる朝鮮物体カッケーっす(笑) >>135
まだ言ってんの?
あれホモの話じゃ無いぞ。 明治〜大正にかけての時代、男色は硬派な学生の嗜みだった。
日本に留学中の周恩来も、当時の学生男色文化の中でとても良い青春時代を過ごしている。
このレベルのライトな層としての男色は、当時の日本ではかなり一般的だったんだよ。
■ 「恋人」への想いを日本留学中に書き留める
今回、蔡詠梅が見つけ出したのは周恩来が97年前に書いた日記だ。
この日記は「周恩来旅日日記下巻」に出てくる。
実はこの日記は1952年に一度公開されたことがある。
ところが当時は一切問題になっていない。
日記が書かれたのは、1918年。
周恩来の日本留学中に書かれたものだ。
周恩来は天津の南開中学卒業後、1917年に日本に留学。
一高を目指すが日本語の習得不足で受験に失敗し、東亜高等予備校を経て明治大学政治経済科に進む。
当時19歳。
周恩来には当時、中学時代に知り合った李福景(リー・フジン)いう2歳年下の「恋人」がいたのだ。
「ここ数か月、朝な夕なのそよ風、雨が窓を叩きつける。そして咲き乱れる花。すべてが郷里に残した家族のことを思い起させる。
そして弟のヒュイ(李のニックネーム)のこと。たまらなく寂しい。」 周恩来は何度となく、李に日本に留学するよう勧めるが、李は香港大学に行くことを決める。
「私の心は激しい痛みにおののいている。すべての幸せが突然音を立てて崩れてしまった。 そのショックは、まるで背中から冷水を浴びせられたように、私は気絶してしまった。その悲しみをあらわす言葉すら見つからなかった。 空虚さの中をさまよった。夜も一睡もできなかった。自分自身が惨めだった。」
周恩来が強硬に香港行きを諦めさせた結果だろうか。
李は香港行きをやめて、周恩来とともにフランス経由でロンドンのマンチェスター大学に留学する。 男色なんて日本でも昔はあったじゃん
別に驚くような事でもない 9cmだから御尻にも優しいし。(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 大嫌いな日本を利用して自分達を肯定するバカチョンw ニホンモーニホンモーニホンヲコエター
ザイニチ気持ち悪い >>1
いやあ徴兵先での話といい、トシヲのは血筋ってはっきり分かんだね >>148
コスプレが好きなだけで誰も行為したいわけじゃねえよ。たかが服装だけでそこに結びつけるとか家畜以下だなお前。考えが下劣すぎて吐き気がする >>153
オタクの聖地巡礼の際によくあるのが、痛車で数台に便乗して乗りつけて、ラブホで着替えて、打ち上げの記念撮影。
けど、アニメの女性キャラや男性キャラやらになりきってるオタク達が、風呂場でバニラ化してるケースは多々見受けられる。
アニメコスプレのオフ会とかすると、風呂場で一部の参加者がかなり面白い修羅場になってる。 >>155
すごい妄想こじらせてて草。個人でホテル予約取ってるのにわざわざラブホに行くわけ無いだろ。これだからエロ同人が現実だと思ってそんな集まりにも参加したことない根暗キモオタは嫌われる >>153
女装コスプレはほぼ予備軍やで。
元々その気がなくても堕ちる >>158
女装は男相手にウケようとするからだよな
街のオカマちゃん達だとストレートも多い 「ビョーク、サル」
病気サルの間違いじゃなくて オホホ 洞窟壁画に描かれているのが男色の起源とか言いそうだな 美輪明宏によると戦後すぐの頃から男専門のゲイバーはあったが当時のゲイは普通に男装で
女装は邪道だったそうだ、その中で1人女装を始めた三輪さんは周囲からかなり攻撃されたんだそうな
それでも少しづつ女装が普及してゆき今日に至る、こんな風俗は単に流行りでかなり短期間に変ってしまう マジかよ~!
これ数年後に間違い無く従軍慰安夫が突如沢山現れて日本に強制連行されて尻を売らされた!
謝罪と賠償をて集団訴訟起こすな!! >>164
ゲイのクイーンとオカマって両者とも女装
似てるようで違うんだっけw 韓国は世界三大ホモ男色強国ニダ
ジングルベルも誇らしいニダ >>6
弥次さん喜多さんが男同士の夫婦で
伊勢参りをしたのを知らないニカ? ほう
日本政府の馬鹿政治屋、役人、軍人どもがチョーセンに夢中になる理由がこれかWww >>181
韓国では、兵役で一人前の男をなると言う風習があっての。 >>157
一部のコスプレアニオタは相当にマニアックな世界だよ、
ちなみに鉄オタの一部もな。
擬人化された新幹線の先頭車や、連結器見ただけでイケるレベルの鉄道性愛ってジャンルを知らないかな。
> >>155
> すごい妄想こじらせてて草。個人でホテル予約取ってるのにわざわざラブホに行くわけ無いだろ。これだからエロ同人が現実だと思ってそんな集まりにも参加したことない根暗キモオタは嫌われる >>185
加えて秋葉原には、男版のメイド喫茶、執事喫茶もある。
客層はヤオイ系の女子も多いが、男の客の割合も多いよ。 K棒液
細マッチョでぶマッチョ高齢者と住み分けされてるらしいけどw >>22
江戸初期に消えたわけじゃ無いが中期以降衰退してマイナー化したのは確か >>89
江戸中期以降廃れたのは確かだ
ゼロではなかったが 明治の時代ですら、
硬派な学生→男色を嗜む学生のこと。
軟派な学生→女色を嗜む学生のこと。
そして「軟派な学生よりも硬派な学生の方が、質実剛健でカッコいい。」って風潮は、かなり後の時代まであったんだよ。
まあ、旧薩摩藩の文化が主流の文化として東京中心に普及していた面もあるけど、他藩でも男色は無かった訳ではないし。 >>173
それ嘘だから。
人物紹介の時にさらっと語られた以外にエピソード無いから。 >>187
ええー
まあ女がメイド喫茶に行く様なものだと思えばおかしくはないのか 天井と床のBLとかあるらしいから腐女子の想像力は底が見えない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています